秋の日本民家園(18)
何度見ても驚くものだと思う。最後の最後にこの舞台に至る上り坂は長く急勾配で、見に行く気を萎えさせかねないほどだ。でも、我慢していってみると、見事な舞台が眼前に。
船越の舞台の断面図

舞台の真裏

奈落への入り口

正面に見えるのが回り舞台を回す仕掛け

垂れ下がっている棒を人が掴んで回した。イラスト通りだとすると、棒は4本だが、薄暗くて勘定し損ねた。

随分頑丈に作ったようだ

回り舞台の断面図

舞台正面側


舞台のクローズアップ
時々公演をする都合があるのか、照明用のランプが見える。その昔は、夜間の公演に際しては、ロウソクを使ったのだろうか。西洋でも、バロック時代の大作曲家たちは、演奏会の照明用にろうそくを使った。そのロウソク代を工面するのが大変な仕事だったと聞いている。日本ではどうだったのだろうか?薪能みたいなことをしたのだろうか?



重要有形民俗文化財
建物区分:歌舞伎舞台
構造形式:正面入母屋造、背面切妻造、桟瓦葺、一部二階、桁行9.1m,梁行10.8m/側面出語付、桟瓦葺/背面庇付、桟瓦葺、桁行10.8m、梁行2.7m/側面楽屋付、切妻造、桟瓦葺、桁行5.3m、梁行7.3m
建築年代:安政四年(1857)、墨書
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回り舞台を備えた漁村の歌舞伎舞台
この舞台は、もと志摩半島の漁村の神社境内にありました。建てられたのは江戸時代末期の安政四年(1857年)です。
屋根は正面が入母屋造、大棟(おおむね)には凝った鬼瓦を配しています。これに対し背面は切妻造で、鬼瓦も小さく単純です。こうした外観は、正面性を重視する舞台建築の性格をよくあらわしています。なお、鬼瓦や軒先瓦につく「若」の字は、舞台建築に若者組という伝統的青年組織が関わったことを記念するものです。
舞台両側の張出し部は出語りといい、上手(正面に向かって右側)は芝居の語り手の席、下手は寄付金を扱う会計係の席です。
舞台装置としては、直径三間(5.4m)の回り舞台、スッポン(せり上がり)のある花道、高所作業用の簀子(すのこ)等、歌舞伎芝居のために必要なものはほとんど備えています。
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見どころポイント!
瓦の「若」の文字は、舞台の建築に若者組が関わったことを示しています。
建物地下の奈落(ならく)は、回り舞台を回すための空間です。
付け足し
紅葉の様子



かなり長くなってしまいましたが、以上で『秋の日本民家園』シリーズは終了です。最後までお付き合いいただき、大変有難うございました。