秋の日本民家園(2)
前回本年6月に行った時には、耐震工事中で見ることができなかった我が故郷福島県の旅籠で馬宿でもあった建物。今回は何とか見ることができた。でもフルオープンの状態ではない。早く耐震工事を終了させ、もう少し往時の様子を想像できるくらいにしてほしいものだ。
福島市松川町というと松川事件の起きたところだが、それよりずっと昔の建物で使われたのもずっと前だろう。白河に向かって松川に泊まるということは、明らかに他県からの客だったのだろう。馬喰や馬方や馬が泊まる商いが成立するくらいに、白河で行われる競りは規模が大きかったのか。知らなかった。
脇道に逸れるが、スペインの巡礼路でも、馬に乗ってサンチャゴ・デ・コンポステラを目指す人がいる。そこには、馬を受け入れる宿が同様に有るんだろう。ペットの同伴などという生易しいものではないので、自ずと泊まる宿は限定されるのだろうが。


正面の板戸は上に収納する揚戸になっているのか。上の収納する仕掛けには気づかなかった。このままでは寒そうだと思っただけだった。(^_^;)


ここに馬が最大14頭繋がれていたのか。かなりうるさかったのではなかろうか?

入口は引き戸ではなく内側に片側が開く開き戸だったのか。最初から開いていたので、全く気づかなかった。馬さんも出入りするのだから、引き戸では幅が狭すぎたのだろう。ナルホド


紅葉はまだまだ先のようだ





神奈川県指定重要文化財
旧所在地:福島県福島市松川町本町
建物区分:旅籠(馬宿)
構造形式:前部=寄棟造、茅葺、桁行 10.6m、梁行 6.9m/後部=入母屋造、茅葺、桁行10.4m、梁行5.2m
建築年代:19世紀初期
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奥州街道の馬宿
この建物は、奥州街道の宿駅、八丁目宿の旅籠(はたご=宿屋)でした。南部駒(なんぶごま)を白河(福島県)方面の競り市(せりいち)に出す馬喰(ばくろう=馬商人)や、馬を世話する馬方(うまかた)を泊めた馬宿(うまやど)で、馬は土間(どま)に、馬方は中二階に、馬喰や武士は一階の座敷に宿泊しました。
街道に面した前部は、中二階造として旅籠の営業に当てています。揚戸(あげど)、格子窓(こうしまど)、日除けの板暖簾(いたのれん)、深い軒(のき)の出など、宿場の民家の特徴が良く現れています。後部は通り(とおり)土間に沿って奥に長くのび、左手に家族の生活の場であるチャノマ、カッテ、ニワ、右手に馬をつなぎとめておくマヤが並んでいます。
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見どころポイント!
土間のマヤには14頭の馬をつなぐことができました。
狭い間口を活かすため、入口は引き戸ではなく開き戸に、正面の板戸は上に収納する揚戸になっています。
2.井岡家住宅
間口は狭いが奥に長く続く構造だったようだ。その一部を移設したと前回説明を受けた。そのとき、屋根も素晴らしいと聞いたのだった。今回は説明担当のボランティアの人がいなくて、単に見ただけ。
前回撮影分から3ショット






荒神(火の神)を祭るという大かまど。物凄く貫禄がある。正月の餅つきのとき以外は使わなかったとはもったいない話だ。

贅沢な瓦なのだが、うまく撮れなかった

前回撮影分から。屋根は桟瓦で、一部に本瓦を使っている。左右の棟に2列ずつと、中央に4列だ。本瓦葺きは寺院などで見られるようだ。川崎市の解説では桟瓦葺きとなっている。

神奈川県指定重要文化財
旧所在地:奈良県奈良市高畑町
建物区分:商家
構造形式:切妻造、桟瓦葺、一重、一部二階、桁行7.9m、梁行12.7m
建築年代:17世紀末期~18世紀初期
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狭い間口を活かした奈良の商家
この建物は奈良の柳生街道(やぎゅうかいどう)に面した商家でした。古くは油屋を営み、のちに線香屋としてその製造販売を行っていました。
外観は正面に庇(ひさし)を設け、吊上げ式の大戸(おおど)、格子(こうし)、揚見世(あげみせ)を備えており、商家の面影を伝えています。また、柱などを塗り込んだ外壁や、瓦葺(かわらぶき)屋根は、防災を考慮した町屋(まちや)の特徴をよく現しています。内部は一方を通り土間(とおりどま)とし、居室部は土間に沿って縦一列に三室を並べ、「つし」と呼ばれる中二階(物置)を設けています。正面左側のミセは商いの場で、右側のシモミセは品物の取引に、折りたたみ式の揚見世は品物の陳列に使われました。
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見どころポイント!
この家は囲炉裏がなく、かまどで生活をしていました。なお、中央の大かまどは荒神(火の神)を祭るもので、正月の餅つきのとき以外は使いません。
敷鴨居(しきがもい)の溝には、開閉に必要な分だけを彫る「突き止め」という古い手法が用いられています。