増上寺~二天門~御成門~台徳院霊廟惣門_with_東京タワー(4)
現在の徳川家墓所(2)

6代家宣夫妻(文昭院・天英院)
青銅製



パネル写真から



7代家継(有章院)
石塔。家継は夭折したため、正室はいない。婚約者は八十宮吉子内親王だった。


パネル写真から

吉宗が御霊屋建立禁止令を出した。このことにより、以降大規模な霊廟は建築されず、寛永寺か増上寺のいずれかの霊廟に合祀し、宝塔か霊牌所が建立された。ということで、以下の将軍は、独自の霊廟を持たない。
9代家重(惇徳院)
石塔。家重の正室であった増子女王は家重の将軍就任前に薨じたため、御台所とは称されていないそうで、寛永寺に葬られているとのことだ。


12代家慶(慎徳院)
石塔。家慶の正室喬子女王は寛永寺に葬られているとのことだ。


14代家茂(昭徳院)
石塔


家茂夫人和宮(静寛院)
青銅製。彼女だけは特別扱いなんだなあ。皇室に敬意を表したということなのだろうか。11代家斉の正室・広大院、13代家定の最初の正室・天親院などは、合祀塔に入っている。それからすれば、破格の扱いだ。


合祀塔
石塔。家宣の父・綱重(清揚院)、5代綱吉の生母・桂昌院、11代家斉の正室・広大院、13代家定の最初の正室・天親院、家宣の側室・月光院、家斉の側室・契真院、家慶の側室である見光院・殊妙院。
その他計35名の将軍家ゆかりの子女が合祀されている。合祀以前はそれぞれ宝塔・墓が独立していた。現在の合祀塔は、もとは月光院に在った。

