増上寺~二天門~御成門~台徳院霊廟惣門_with_東京タワー(3)
もと徳川綱重(徳川家光三男・清揚院)の霊廟にあったもので、戦災を免れたものを現在の増上寺境内に移築。お参りする前に手を洗う場所。増上寺の裏手にあった清揚院霊廟そのものは、明治期に解体された。


大梵鐘
除夜の鐘のTV中継で撞かれる梵鐘だ。戦後再建された鐘楼堂は別として、大梵鐘の方は何らかの文化財には指定されているだろうと思っていたのだが、指定を受けていないようだ。そのことに驚いた。大梵鐘は、延宝元年(1673年)にあまりの大きさに七回の鋳造を経て完成し(東日本で最大級といわれている)、江戸三大名鐘の一つに数えられているもの。
4代将軍徳川家綱の命で造られた梵鐘で、その音は遠くは木更津(千葉県)、熊谷(埼玉県)まで響いたとか。高さは1丈(約3m)、重さは4000貫(約15t)!!
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朝と夕べ、六度ずつ響くその鐘の音は、時を告げるだけではなく、人を惑わす百八の煩悩を浄化し、人々の心を深い安らぎへと導く六度の誘いでもあります。江戸時代の川柳に読まれた鐘の音は、遠く木更津や熊谷までも響いたとされています。「西国の果てまで響き芝の鐘」の川柳は、周辺に有馬家や島津家など西国の大名屋敷があったため詠まれたといわれています。


徳川家墓所(1)
戦災にて焼失した旧徳川家霊廟は、現在の大殿南北(左右)に建ち並ぶ壮麗なものであった。それは消失前の写真、焼損せずに残ったいくつかの建物などから、明らかなことだ。昭和33年夏、文化財保護委員会が中心となって、発掘された土葬の遺体は、綿密な調査が行われた後、東京・桐ヶ谷にて荼毘にふされ、現在の墓所に改葬された。
現在の墓所の正面右側には、2代秀忠公の宝塔がある。焼失前の宝塔は霊廟室内に祀られ、大変大きなものだった。しかし、他の将軍のそれとは異なり、極めて豪華ではあったものの木造であったため、戦災で焼失した。現在は内室崇源院の石造宝塔に合祀されている。

現在の徳川家墓所(1)

徳川将軍家墓所鋳抜門
現在も残る鋳抜門は、文昭院殿霊廟(六代将軍徳川家宣公)の宝塔前『中門』だったもの。左右5つずつの葵紋、昇り龍・下り龍が鋳抜されているのが特徴。





2代将軍秀忠夫妻(台徳院・崇源院)
台徳院宝塔は前述のとおり戦災で焼失したため、崇源院宝塔(石塔)に合祀されている。まさか、こんなふうに扱われ、下々の者から写真に撮られるとは、本人も予想だにしなかったことだろう。



パネル写真から

