寿福寺と英勝寺(3) - 寿福寺と英勝寺_2014_Sep
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寿福寺と英勝寺(3)

英勝寺(2)

再建がなり国の重要文化財一括指定にも間に合った山門
関東大震災で倒壊したものの、幸いにして篤志家間島弟彦氏により再建され、葛西ケ谷(鎌倉市小町:北条氏終焉の地、東勝寺があったところ)に保存されていた。その地が住宅開発されることになったのを契機に、平成13年に解体されて英勝寺に戻り、部材のままであったのにもかかわらず、神奈川県重要文化財に指定される。そして平成19年からの建築によって、平成23年 (2011年) 5月に落慶式宿願を果たすことができた。そして平成25年(2013年)8月に仏殿などとともに国の重要文化財一括指定の仲間入りをしたのか。
うーーん、あまりにもトントン拍子に事が運び、怖いくらいだ。極めて短時間で認定を受けたのかもしれないが、葵御紋が光っているこの立派さは誰にも文句を言わせないものだろう。銅版が本来の色を保っているのは、昨年葺いたばかりだからだろうか。

表側
山門表側_1
山門表側_2
楼門ではなく二重門なのだ。うーーん。金剛力士像などが置かれていそうなスペースには、当時は何があったのだろうか。
山門表側_3
はっきり撮ることができなかったが、蟇股が相当手の込んだモノのようだ。お出かけになることがあれば、しっかり見ておいていただきたい。
山門表側_4
後の生け垣と私のお尻とがせめぎあいをして、これ以上は下がって撮ることができなかった。山門と仏殿とが一直線に並んで見事な感じだった。昔も総門はあの位置にあったのだろうか。
山門表側_5
裏側
山門裏側_1
山門裏側_2
山門裏側_3
2階には『格狭間様式の花頭窓』がしつらえてある。こんなものは初めて見た。もうちょっときちんと撮れればよかったのだが。
山門裏側_4
山門裏側_5

棟名:山門
ふりがな:さんもん
員数:1棟
種別:近世以前/寺院
時代:江戸前期
年代:寛永20年
西暦:1643
構造及び形式等:三間一戸二階二重門、入母屋造、瓦棒銅板葺
創建及び沿革:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項:
指定番号:2597
国宝・重文区分:重要文化財
重文指定年月日:2013.08.07(平成25.08.07)
国宝指定年月日:
追加年月日:
重文指定基準1:(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2:(三)歴史的価値の高いもの


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AzTak
Posted by AzTak
投稿 2014年09月22日
最終更新 2014年09月22日

16 Comments

There are no comments yet.

makira  

こんばんは!

AzTakさん、こんばんは!
実に威風堂々とした山門ですね!
左右のスペースには何があったのでしょうね!
やっぱり金剛力士像でしょうか?
仏殿、祠堂、唐門、鐘楼が揃っている英勝寺は今後きっと注目を浴びると思います♪
鐘楼も目張りを施してあるような構造ですが、中に鐘はあったのでしょうか?
英勝寺尿な格式の高いお寺にしては近代的な通用門にちょっとびっくりです 笑)

2014/09/22 (Mon) 01:50

HARU  

おはようございます。

たしかに立派な山門ですね。
ただ、後からの移築とのことで、雛段の上に乗っかっているみたいなのが不思議な感じがしましたが。篤志家氏の情熱がなければこの景色もなかったと思うと余計価値のあるものに見えます。

2014/09/22 (Mon) 11:01

のんびり熊  

AzTakさん

こんにちは
山門の屋根を支えている垂木、扇状になっている建物は、余りありません。
下部は平行になっています。
良く分りませんが、扇状になっているのは、明治以降の建物では見たこと有りませんがドウなんでしょうか?

2014/09/22 (Mon) 12:40

masa  

こんにちは。

立派な山門が再建されて、当時の姿の戻って良かったですね。
私費で再建した間島氏の信仰心があってでしょうね。

2014/09/22 (Mon) 13:16

keiko  

こんにちは(*'▽'*)

門の屋根の下の所の、木の組ようは凄いですね。よく、こんな風に組めるなと、感心しちゃいます。屋根の重さにたえながら、装飾的にも作るなんて、宮大工さんは、凄いですね(^-^)

2014/09/22 (Mon) 14:49

aunt carrot  

源氏山公園から降りるとき長い階段の先に
こちらに着いて、ちらっと拝観したことがありますが、
こんなに素晴らしいとは!
今度行ったら、じっくりゆっくりと拝観してみようと
思います。
いつも貴重な記事をありがとうございます。

2014/09/22 (Mon) 15:52

AzTak  

Re: こんばんは!

> AzTakさん、こんばんは!

makiraさん、こんばんは。

> 実に威風堂々とした山門ですね!

この山門だけは、徳川頼房ではなく、その長男である松平頼重が建立しています。いろいろな事情があり、水戸は弟の光圀が継ぐことになりましたが、頼重はこの世に生を享けることも危ない状況だったようです。それを英勝院がとりなしてくれたために、無事この世に生を受け、最終的には、讃岐高松十二万石の藩主にまでなりました。そして、家督を継いだ光圀は兄の子に家督を譲るということまでしたようです。
そんなこんなで、松平頼重に撮っても英勝院は大恩人だったようです。

> 左右のスペースには何があったのでしょうね!
> やっぱり金剛力士像でしょうか?

そうじゃないかと思いますが、廃仏毀釈の嵐の中でどうなったのでしょうね。徳川の息のかかった寺院でしたから、殊の外当たりがきつかったことなんでしょうね。

> 仏殿、祠堂、唐門、鐘楼が揃っている英勝寺は今後きっと注目を浴びると思います♪
> 鐘楼も目張りを施してあるような構造ですが、中に鐘はあったのでしょうか?

高欄をめぐらしてある辺りに鐘撞き棒が出ていて、鐘もよく見れば見えるようです。行ったときは強烈な逆光で見えませんでした。
寛永20年銘(銘文:林道春(羅山))の梵鐘がかけられているそうです。この梵鐘は、1923年(大正12年)の関東大震災によって鐘楼が崩壊した後、三浦(横須賀)の福本寺に移されていたそうですが、1957年(昭和32年)に鐘楼が復元されたときに返還されたということです。

> 英勝寺のような格式の高いお寺にしては近代的な通用門にちょっとびっくりです 笑)

あれは尼さんの好みなのかもしれませんね。

2014/09/22 (Mon) 19:38

AzTak  

Re: おはようございます。

HARUさん、こんばんは。

> たしかに立派な山門ですね。
> ただ、後からの移築とのことで、雛段の上に乗っかっているみたいなのが不思議な感じがしましたが。篤志家氏の情熱がなければこの景色もなかったと思うと余計価値のあるものに見えます。

この山門だけは、高松藩主の松平頼重が建立したものだそうです。そうしたいと願うだけの強い繋がりがあったようです。
山門自体も、これだけ困難な事情がありながら、よくぞ、現代まで持ちこたえたものですね。

2014/09/22 (Mon) 19:44

AzTak  

Re: AzTakさん

> こんにちは

のんびり熊さん、こんばんは。

> 山門の屋根を支えている垂木、扇状になっている建物は、余りありません。
> 下部は平行になっています。
> 良く分りませんが、扇状になっているのは、明治以降の建物では見たこと有りませんがドウなんでしょうか?

(ΦωΦ)フフフ…、浅学非才な私にそんな難しい質問をされても、答えを返せるはずがありません。m(_ _)m。これを建てた讃岐高松藩主の松平頼重に聞いてみないと意図するところはわからないかもしれません。
ただ、松平頼重は英勝院を心の底から恩人と感謝していた節が伺えます。自分ができる最高のものをつくろうとしたのは間違いがなかったことと思います。

2014/09/22 (Mon) 19:52

AzTak  

Re: こんにちは。

masaさん、こんばんは。

> 立派な山門が再建されて、当時の姿に戻って良かったですね。

本当に数奇な運命を辿ったのに、今日無事その姿を見ることができるのは奇跡に近いことかもしれません。

> 私費で再建した間島氏の信仰心があってでしょうね。

間島弟彦氏は、三井銀行常務を努められた方のようですね。歌人でもあったようです。その後、間島邸は似鳥氏の所有に移ったそうです。あのニトリの方でしょうかね。それでも山門は壊されずにあったようですが、其処も宅地開発の憂き目に会い、維持できなくなり解体してあったようです。その部材が、再度買い戻されたようです。
其処からがすごいのですが、その状態で神奈川県の重要文化財に指定されたんだそうです。
数奇な運命をくぐり抜けてきた門なんですねえ。讃岐高松藩主松平頼重の思いの丈が、処分を許さなかったのでしょうかねえ。

2014/09/22 (Mon) 20:06

AzTak  

Re: タイトルなし

> こんにちは(*'▽'*)

keikoさん、こんばんは。

> 門の屋根の下の所の、木の組ようは凄いですね。よく、こんな風に組めるなと、感心しちゃいます。屋根の重さにたえながら、装飾的にも作るなんて、宮大工さんは、凄いですね(^-^)

この山門だけは讃岐高松藩主の松平頼重が建てたんだそうです。尾張や紀伊徳川家に嫡男が生まれていない時に、一足先に水戸で生まれた頼重を始末することを考えたようです。それを止めてくれたのが英勝院であり、命の恩人だったわけです。
そんなこんなで、一世一代の山門をつくろうと考えたのでしょう。お金も相当つぎ込んだことと思います。松平頼重の意気を示したものなんでしょうね。

2014/09/22 (Mon) 20:13

AzTak  

Re: タイトルなし

aunt carrotさん、こんばんは。

> 源氏山公園から降りるとき長い階段の先に
> こちらに着いて、ちらっと拝観したことがありますが、
> こんなに素晴らしいとは!
> 今度行ったら、じっくりゆっくりと拝観してみようと
> 思います。
> いつも貴重な記事をありがとうございます。

たしか、源氏山は英勝寺のものだったと思います。今はどうなっているのかわかりませんが。
あの辺りを歩いて回るとは、健脚ですね。
英勝寺の人気はそのうちにすごいものになると思います。雑誌などで大々的に取り上げられないうちに行って見られる方がよろしいのでは。

2014/09/22 (Mon) 20:22

土佐けん  

こんばんは

立派な山門ですね~~
葵の御紋が光ってる^^
個人で再建なさったんですか!
凄いな~~~

2014/09/22 (Mon) 21:53

びび  

AzTakさん こんばんは★

英勝寺は尼寺なのですね。
代々水戸徳川家の姫様が住職を継いできたとか・・・
徳川の時代には色んな恩恵があったと思いますが、
同じ女性としての立場で考えるとなんだか複雑な思いがします。
徳川家康と言えば、これから駿府城天守台を復元するそうですが
天守閣の復元は難しそうです。。
設計図がない上、ものすごく費用がかかるみたいで・・・ちょっと残念です。

歴史的建造物を何百年も残せるのは奇跡なのかもしれませんね。

2014/09/23 (Tue) 00:13

AzTak  

Re: こんばんは

土佐けんさん、こんばんは。

> 立派な山門ですね~~

この山門だけは、讃岐高松藩主松平頼重に酔って建立されたものだそうです。
この方は、初代の水戸藩主の長男でしたが、尾張にも紀伊にも嫡男が生まれていない時に生まれてしまったので、水戸の分際で出すぎたことだと我が子を殺めようと考えたそうです。それを思いとどまらせてくれたのが、英勝院で、命の恩人だったわけです。
それだけでは語りきれない恩を受けたようで、せめてもの恩返しに造らせていただいたようです。

> 葵の御紋が光ってる^^

葵の御紋でも水戸の紋なんだそうです。違いは検索して調べてくださいね。

> 個人で再建なさったんですか!
> 凄いな~~~

三井銀行の常務を務めた人だったようです。買い取って、自宅に建てたとか。
気宇壮大な話です。

2014/09/23 (Tue) 05:54

AzTak  

Re: タイトルなし

> AzTakさん こんばんは★

びびさん、こんばんは。

> 英勝寺は尼寺なのですね。

そうなんだそうです。

> 代々水戸徳川家の姫様が住職を継いできたとか・・・

彼女たちは、僧侶としての修行をしてきたわけではなく、そこにいて、この寺院を護ることが仕事だったようです。

> 徳川の時代には色んな恩恵があったと思いますが、
> 同じ女性としての立場で考えるとなんだか複雑な思いがします。

彼女たちは、生まれながらにしていろいろな役割を負う定めだったのかもしれません。

> 徳川家康と言えば、これから駿府城天守台を復元するそうですが
> 天守閣の復元は難しそうです。。
> 設計図がない上、ものすごく費用がかかるみたいで・・・ちょっと残念です。

天守台だけなら江戸城と同じで比較的簡単に造ることができるでしょうが、天守閣となると、大変でしょうね。設計図を残さなかったのは、軍事上の理由からなんでしょう。

> 歴史的建造物を何百年も残せるのは奇跡なのかもしれませんね。

徳川幕府が倒れ、廃仏毀釈という世にも愚かな破壊運動も展開されましたから。めぼしいものは殆ど残されない結果になってしまいました。それでなくても、何百年を保たせるのは指南の業でしょうが。

2014/09/23 (Tue) 06:05

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