横浜市中区のレトロな建物(7)
旧:横浜正金銀行本店本館(現:神奈川県立歴史博物館)
パリの街角に立ったかのような感じ。見事な建物だ。
建物は、歴史主義建築に属する明治30年代における代表的な洋風建築である。
横浜正金銀行本店として1900年(明治33年)に着工し、1904年(明治37年)に完成した。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の火災により建物のドームが焼失する。1947年(昭和22年)には、横浜正金銀行を引き継いだ東京銀行が発足し、東京銀行横浜支店として使用された。1964年(昭和39年)に神奈川県が建物を買い取り、建物の増築・改修工事を行い、関東大震災で焼失したドーム屋根の復元を行う。1967年(昭和42年)3月20日に神奈川県立博物館として開館する。
1969年(昭和44年)、建物が「旧横浜正金銀行本店本館」として国の重要文化財に指定され、1995年(平成7年)には敷地が「旧横浜正金銀行本店」として国の史跡に指定されている。外観のよく保存された、すぐれた意匠をもつ洋風建築であり、明治以降の建築物をともなう遺跡で国より史跡の指定をうけたのはこれが最初である。
竣工 - 1904年(明治37年)
構造・規模 - 石・煉瓦造、地上3階、地下1階、正面中央八角塔屋付、ドライエリヤ石塀附属
建築面積 - 1,998.3平方メートル
旧:横浜正金銀行本店本館(現:神奈川県立歴史博物館)外観















ドーム部分のクローズアップ




1階部分は立ち入り自由

これもステンドグラスだ。普通は垂直に設置されるだろうが、此処のものは水平方向に設置されている。珍しいものだと思った。


神奈川県立歴史博物館の正面入り口はこちら側

テラスから見たMM21




旧:川崎銀行横浜支店(現:日本興亜馬車道ビル)
うーーん、ファザード建築の典型だけど、もう少し、元の建物を活かして欲しかった気がする。




関内地区(弁天通)。この建物は八大財閥の一つ川崎財閥の中核銀行であった川崎銀行の横浜支店として矢部又吉の設計により大正11年に建てられた。
当初の建物は、ネオルネッサンス形式の3階建の石造建築である。各階の窓には異なったデザインを配し、3階部分には三角破風をのせている。石の積み上げ方にも変化をもたせ、凝った装飾はなくシンプルにまとめられている。同じ石造り建築ながら明治時代建設の隣接する神奈川県立歴史博物館(旧横浜正金銀行)に比べ、大正時代建設のこの建物には何か柔らかな風合いを感じさせるものがある。
設計者の矢部又吉は横浜生まれでドイツに学んだ建築家で隣接する旧横浜正金銀行の設計者妻木頼黄の弟子筋にあたる。師の作品に歩調をあわせつつも、個性をだした建築になっている。
建物はその後日本火災横浜ビルとなり、昭和61年には取り壊される運命にあったが、多くの人々の努力と施主の英断により歴史的建築物の保存・再生の先駆けとして平成元年外壁を保存した姿に生まれ変わった。現在は川崎財閥の流れを汲む日本興亜損害保険のビルとなっている。横浜市の歴史的建造物認定の第1号である。
以上で、『横浜市中区のレトロな建物』シリーズは終了です。最後までご覧頂き有難う御座いました。