お面かぶり(1)


http://www.geocities.jp/the_traveler_of_wind/setagaya/s100k/091_100/098_setagaya.htmの記事からの一部抜き書き
「二十五菩薩来迎会(お面かぶり)」なのですが、簡単に書くと、信者が臨終を迎えた時に阿弥陀様が菩薩たちを従えて来迎し、極楽浄土に連れて行ってくれる様子を儀式化した法要です。極楽浄土に見立てた上品堂と現世(娑婆)に見立てた本堂との間に三十六間(約65メートル)の橋を架け、その現世と極楽浄土の架け橋を菩薩の面を被った信者らが渡るというものです。儀式はまず檀信徒たちが本堂から上品堂に渡り、そこにある阿弥陀如来や菩薩などのお面をかぶり阿弥陀如来と二十五菩薩に扮し本堂に向います。これが「来迎」となります。そして今度は本堂から往生人にみたてた住職衆僧と開山珂碩上人の像を乗せた逗子、菩薩や導師を守る役目の稚児を加え上品堂へ向かいます。これが「往生」となります。そして最後に、珂碩上人の逗子、僧侶、稚児、そしてお面をはずした壇信徒らが上品堂から本堂に帰るというのが一連の流れです。昔は橋などなく、そのまま地面を歩いていたようですが、いつしか見やすいように?なのか分かりませんが、大掛かりに橋が架けられるような現在の状態になったようです。で、結論も簡単に書いてしまうと、この行事に参加してお面をかぶって歩くと、ご臨終を迎えた際に同じように阿弥陀如来様が極楽浄土に導いてくれるとか。最後本堂に戻っていく参加者の顔が晴れ晴れしているのはそのためです。
二十五菩薩来迎会は、千年以上の伝統があるという奈良県葛城市の当麻寺二十五菩薩来迎会が始まりのようだ。
蓮糸を染めて曼陀羅を織ったといわれる中将姫を西方浄土から迎えに来る様子を現します。16時から雅楽や読経が流れ、西日が差すなか、本堂を西方極楽浄土、裟婆堂を人間界に見たて、その間にかけた来迎橋を観世音菩薩が25菩薩を従えて練り歩き、17時すぎまで行われます。練供養会式の根源は同寺にあると言われ、大衆を浄土信仰に導く為に始めたものと伝えられています。
(1)當麻寺では毎年5月14日に練供養会式が営まれ、正しくは聖衆来迎練供養会式と呼ばれます。その由来は千年前まで遡り、「往生要集」を著した天台宗の僧恵心僧都源信が比叡山で初めて行ったとされております。そして法要を継続的に行う為に選んだところが、源信の生まれ故郷、當麻の地にある當麻寺、そして中将姫伝説だったわけです。西暦1005年、當麻寺で初めて練供養が行われました。それから数えて千年。千年という時の流れは、練供養を當麻の地にのみ留めさせませんでした。法要を見た多くの人々が故郷に伝え、今でも東京の九品佛、岡山の誕生寺など、日本全国で盛んに練供養が行われております。
あま市の蓮華寺で二十五菩薩来迎会が(毎年4月第3日曜日)、大阪市の大念佛寺で万部おねり・二十五菩薩来迎会が(毎年5月1日~5日)行われるようだ。此処、九品仏浄真寺でも300年の伝統を誇るという。九品仏浄真寺のそれは、3年に1度の行事で、そう簡単には見ることができない。
お面かぶり行事の前に
参道にはすごい人の列が

楼門に阿弥陀如来と二十五菩薩が見える
『紫雲楼』と呼ばれる楼門の2階の扉が開かれている。そこに、阿弥陀如来と二十五菩薩が見えると言いたいところだが、中央に位置する阿弥陀如来ははっきり見えるものの、二十五菩薩の方は部分的に見えるだけ。此処から先が、聖域(西方浄土)ということのようだ。



鷺草
この境内は元は奥沢城であり、鷺草伝説(常盤伝説)の舞台となっていることで知られている。その名残の鷺草。



あまりのんびりしていると、撮影できそうな場所が確保できないとばかりに本堂近くに移動する。既に出遅れの感じあり。


TV局の撮影クルーも準備の余念がない様子






開始時間が迫ってくるにつれ、人垣はすごいことに

セミも特等席で見物かな
