川崎市立日本民家園(12)
土座に続いて、この住宅では『竹簀子』が登場する。どうやら付近には竹がいっぱいあり、手軽に利用できる素材だったようだ。
竹の節を完全に削るような丁寧な仕上げではなく、当たり所によっては座り心地はあまり良くなさそうだ。竹簀子には必要に応じて筵を敷くということだが、ということは竹の上に直にということもあったのだろうか。また冬は風が通って結構寒いのではないかと心配した。他人様の心配をしても始まらないのだが。
国指定重要文化財
旧所在地:神奈川県秦野市堀山下
建物区分:農家(名主の家)
構造形式:寄棟造、茅葺、桁行15.6m、梁行8.9m
建築年代:貞享四年(1687)、墨書
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貞享四年の墨書が残る古民家
この建物で特筆されるのは、建築年代がはっきりしていることです。加えて、建築としても非常に優れており、日本で最も重要な民家の一つといえます。建築年代は、柱の先端に墨で記されていました。これを墨書といい、理兵衛という大工の棟梁の名前も明らかになっています。
日常生活の場であるヒロマは、竹簀子(たけすのこ)と板の間を使い分けています。竹簀子には必要に応じてムシロを敷きました。上手のオク(正座敷)には床の間が付き、ヘヤ(寝室)は畳敷で押入も備えています。このほか、ヒロマとオクに濡縁が付くなど、同じようなつくりの旧伊藤家住宅に比べ、発達した様子を示しています。
外観
濡れ縁が用意され、ちょっと贅沢な作りだ。


内部
ダイドコロとヒロマ
バンダナのおじさんの後ろの柱には、確かにチョウナで削ったような感じがある。

ダイドコロ

ヒロマ
一部は板の間になっている部分もあるようだ。使い分けはどんな風にしたのだろうか。

竹簀子はこんな感じ。節などで、少し刺激があるのは確かだと思う。


ダイドコロとヒロマの間の上部仕切りにも竹が使われている。あり余るほどあったようだ。

オク(正座敷)
左側に、確かに床の間が付いている。お客様をもてなす部屋だったようだ。こちらも畳敷だったような気がするが、はっきりした記憶が無い。
ヘヤ(寝室)
畳敷で押入も備えている。


北村家の間取り
