近所の様子(5)
本堂
本堂。仁王門を入て右の方にあり。11間四面の堂にて西に向へり。龍護傳と扁額す。これも阿慶の筆なり。本尊丈六の釈迦如来を安ず。開山珂碩上人手づから彫刻する所なりと云。左右に善導円光大師の木像を安ず。
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本堂には上人のほりあげた釈迦牟尼仏を中心に、右に善導大師、左に法然上人の像を安置している。中でも右側にある珂碩上人像は乾漆製の芸術価値の高いものである。堂の隅には、ぴんずる尊者像がある。本堂は総欅造りで、昭和42年修築し、かや茸屋根を銅茸にかえた。


通常の宗教行事にはこれより小型の数珠を用いているそうだ。

ご本尊
開山の珂碩上人が彫り上げたという釈迦如来像。大仏である。



本堂の左側
五劫思惟阿弥陀如来坐像
阿弥陀如来の異形のひとつで、経説によると四十八の大願を成就するために永い間、剃髪をすることもなく坐禅・思惟していたので、このような髪形になったという。
五劫思惟阿弥陀仏とは、阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩だった時代、衆生を救うために菩薩行に励まれた後の姿です。その時間が「五劫(ごこう)」。そのくらい長い時間、じっと思惟をこらして修行した結果、菩薩から阿弥陀如来になるのですが、まさにその瞬間を現した姿なのです。
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木造五劫思惟阿弥陀如来坐像
世田谷区指定有形文化財(絵画・彫刻)
江戸時代
像高120cm
この像は、阿弥陀如来がすべての人々を救おうと「五劫」という長い期間にわたる修行中の姿を表現しています。特徴的な頭部は長い修業をしたために伸びた頭髪をあらわしたものです。
平成元年の解体修理の際に胎内から発見された文書により本像の制作には珂碩上人(かせきしょうにん)の弟子・珂憶上人(かおくしょうにん)が関係したことが分かりました。これにより浄真寺の伽藍が完成した元禄11年(1698)から、珂憶上人が没した宝永5年(1708)までの間に本像が造られたものと考えられます。

乾漆珂碩上人倚像
見落としたようなので、世田谷区のHPの画像を借用

世田谷区指定有形文化財(絵画・彫刻)
江戸時代 元禄5年(1692)頃
像高136.5cm
本像は浄真寺を開いた珂碩上人の肖像で、椅子に座った姿から倚像と呼ばれています。顔の表情、数珠を握る姿など全体に写実的で、真に迫った感じが伝わってきます。乾漆造という奈良時代に盛んに用いられた技法で制作されており、江戸時代の作例としては珍しいものです。この像は上人の最晩年を現したものと考えられています。
乾漆造は、粘土で原型を造り、その上に麻布と漆を何層かに塗り固め、整形し、最後に粘土を抜き取って造る方法。
お面かぶり
3年に1度行われる世田谷の九品仏・浄真寺の行事「お面かぶり」。お面かぶりは正しくは「二十五菩薩来迎会」といい、東京都の無形民俗文化財に指定されている行事。人が亡くなったら、阿弥陀様が25人の菩薩様をしたがえて西方浄土からお迎えにきてくれる様子を行事化したもの。
これが、今年行われる。是非とも行ってみたいと考えている。
その他
総門へ至る道

天皇陛下お手植えの松


大銀杏

大カヤ
