横浜にて(7)
横浜市イギリス館
イギリス館は、昭和12(1937)年に上海の大英工部総署の設計によって、英国総領事公邸として、現在の地に建てられました。鉄筋コンクリート2階建てで、広い敷地と建物規模をもち、東アジアにある領事公邸の中でも、上位に格付けられていました。
主屋の1階の南側には西からサンポーチ、客間、食堂が並び、広々としたテラスから芝生の庭につながっています。2階には寝室や化粧室が配置され、広い窓から庭や港を眺望できます。地下にはワインセラーもあり、東側につく付属屋は使用人の住居として使用されていました。玄関脇にはめ込まれた王冠入りの銘版(ジョージⅥ世の時代)や、正面脇の銅板(British Consular Residence)が、旧英国総領事公邸であった由緒を示しています。
英国総領事公邸はこんなに贅沢なものだったのか。昭和12(1937)年当時の横浜における総領事の仕事とはどんなものがあったのだろうか。太平洋戦争開戦前の日本の様子、特に横浜や横須賀の様子を探ることだったのだろうか。










山手111番館
イギリス館の南側、噴水広場を挟んで立っているスパニッシュスタイルの洋館が、山手111番館です。
ワシン坂通りに面した広い芝生を前庭とし、ローズガーデンを見下ろす建物は、大正15(1926)年にアメリカ人ラフィン氏の住宅として現在地に設計されました。
設計者は、べーリック・ホールを設計したJ.H.モーガンです。玄関前の3連アーチが同じ意匠ですが、こちらは天井がなくパーゴラになっているため、異なる印象を与えています。大正9(1920)年に来日したモーガンは、横浜を中心に数多くの作品を残していますが、山手111番館は彼の代表作の一つと言えるでしょう。
赤い瓦屋根に白壁の建物は地階がコンクリート、地上が木造2階建ての寄棟作りです。
創建当時は、地階部分にガレージや使用人部屋、1階に吹き抜けのホール、厨房、食堂と居室、2階は海を見晴らす寝室と回廊、スリーピングポーチを配していました。
ベーリック・ホールに何か似た感じがあると思ったら、設計者が同じJ.H.モーガンだったのか。それほど大きな家ではないが、こちらもまた素敵な建物だ。

二階部分は常時公開ではなく、何回かの企画開催時に公開を行う。一度でいいから二階にも行ってみたいものだ。この高さならば、私でも大丈夫だ。








最後に日本丸
いつ見ても優美な姿だ。惚れ惚れする。


以上で、7回にわたった『横浜にて』を終了します。最後までご覧頂き有難う御座いました。