金沢市にて(6)
野村家 - 前田家重臣野村伝兵衛信貞の屋敷(その1)
天正十一年(1583)藩祖前田利家が金沢城に入城して、加賀百万石の基礎が築かれたのである。直臣として従った野村伝兵衛信貞家は、禄高千石から千二百石と累進して、代々を御馬廻組々頭、各奉行職を歴任し、この地に千有坪(三千平方米余)の屋敷を拝領し、家督は十一代にわたって、明治四年の廃藩に至った由緒ぶかい家柄である。武家制度の解体により野村家もいくたびか住人を変えたが、土塀、古木、曲水の一部を残しその後、加賀大聖寺藩の傑商久保彦兵衛が天保十四年(1843)建立の、藩主を招いた豪邸の上段の間、謁見の間を移築して現在に至っている。
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2009年にミシュランの観光地格付けにて2つ星に選ばれ、また過去には米国の庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」誌の日本庭園ランキングで第3位に選ばれるなど、海外からも高い評価を受けています。
1位は島根県の足立美術館、2位は京都の桂離宮です。
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その後の武家制度の崩壊により、その野村家のお屋敷と庭園には紆余曲折が待っていました。この周辺の多くは菜園になったそうで、野村家当時の屋敷も古木、曲水など庭園の一部を残して取り壊されて分割されてしまったのだとか。しかし、昭和の初期に加賀の支藩・大聖寺藩下橋立村の北前船の船主・久保彦兵衛の豪邸の一部が移築され、現在に至っているそうです。移築されたのは藩主を招いた「上段の間」と「謁見の間」。格式を感じる上品な装飾が施され、総檜造りの天井や江戸時代のギヤマン(ガラス)入り障子戸などに歴史を感じます。
玄関




野村伝兵衛着用の甲冑
末森城後詰めで馬廻り衆野村伝兵衛は一番槍を果たし、利家公に感謝され、戦国の加増を受けたとのこと。藩の違いはあるものの我が先祖様と同じような取り立てられ方だ。

玄関の飾り

屋敷内の様子












