金沢市にて(4)
この後、どうしても長町武家屋敷跡を見たかった。ということは金沢きっての繁華街である香林坊へ向かうので、途中の道路混雑も予想された。ということで兼六園はめぼしいところのみを駆け足で見ることにした。
入り口付近
年末年始は無料開放が実施されていた。






噴水
水源である霞ヶ池との高低差の水圧のみで噴出させているんだ。最初にこういう仕掛けを見た人たちはびっくり仰天下かもしれない。
この噴水は霞ヶ池を水源とし、池の水面との高低差による自然の水圧であがっています。水の高さは約3.5mあり、霞ヶ池の水位の変化によって変わります。藩政末期、金沢城内の二ノ丸に水を引くため試作されたものと伝えられています。日本で最古の噴水であると言われています。

黄門橋
滑らないように菰が敷かれてあった。雪がまったくないと雪吊りと同様に大げさなという感じに見えてしまった。

雁行橋
11枚の赤戸室石を使用し、雁が夕空に列をなして飛んでいく様をかたどった「雁行橋」。石の一枚一枚が亀の甲の形をしていることから「亀甲橋」とも言われ、この橋を渡ると長生きするとされてきましたが、現在は石の磨耗が著しいため、通行できなくなっています。

霞ケ池
この池の水源は辰巳用水からまかなわれている。辰巳用水は犀川からの取水なので、水源は犀川ということになる。
城の辰巳[たつみ](東南)の方角、犀[さい]川上流に水源を求め、約四キロメートルのトンネルで導水、開水路を経て兼六園の霞ヶ池に貯水する。さらに、驚くべきことに、そこから地下の導水管を使ってサイフォンの原理により、白鳥堀から内堀へと上げ、さらに高い位置にある城中二の丸まで揚水していた。
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兼六園のほぼ中心部に位置する、園内で最も大きな池。面積は約5800平米、深さは最も深いところで1.5mあります。栄螺山、内橋亭、徽軫灯籠、虹橋、唐崎松、蓬莱島などの名勝がこの霞ヶ池の周辺に配され、廻遊しながら四季折々の庭景を楽しめるよう配慮されています。


徽軫灯籠(ことじとうろう)
霞ヶ池の北岸に配された兼六園を代表する景観です。徽軫灯籠は足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱(ことじ)に似ているのでその名が付いたと言われています。この灯籠は水面を照らすための雪見灯籠が変化したもので、高さは2.67m。かたわらのモミジの古木、曲水に架かる虹橋と一体となって優れた風景を醸し出しています。



内橋亭(うちはしてい)
かつて蓮池庭内にあった四亭の一つで、霞ヶ池の西南岸に設けられた水亭。蓮池馬場の馬見所に建てられていたものを、明治7年(1874)、現在の場所に移築しました。栄螺山のうっそうとした樹々を背景に、石脚で支えられたこの亭は、まるで水面に浮かんでいるような印象を与えます。



唐崎松(からさきまつ)
13代藩主・斉泰(なりやす)が近江八景の一つ、琵琶湖畔の唐崎松から種子を取り寄せて育てた黒松。兼六園のなかで最も枝ぶりの見事な木です。雪の重みによる枝折れを防ぐため、冬にほどこされる雪吊りは兼六園ならではの風物詩。他の庭園では見られない、趣深い風情を紡ぎだします。


栄螺山(さざえやま)
こちらは足が不調のため登ることができなかった。ちょっとした俯瞰がきき、写真もうまく撮れたかもしれない。残念だ。
13代藩主・斉泰(なりやす)が霞ヶ池を掘り広げたときの土を利用してつくった築山。高さ9m、周囲約90mで、山頂に「避雨亭(ひうてい)」と呼ばれる御亭(おちん)を配しています。頂上へ登る道は、時計回りでぐるぐるとうずを巻き、まるで栄螺の殻を思わせることからこの名が付きました。


重要文化財石川門
見えたので、ついでに写真を撮った。
石川門は金沢城三の丸搦手門で、石川郡方向に向いている為、名づけられたと云われています。金沢城にとって重要な門の1つで櫓門、2重櫓、多聞櫓、表門、南北の太鼓塀が枡形で構成され、櫓や櫓門には石落し、1間ごとに鉄砲狭間が設けています。金沢城は雪国ということもあり屋根には鉛で被覆した瓦(鉛瓦)が使用され、雨や雪が当る腰壁には平瓦の目地を漆喰で固めた海鼠壁が採用されました。又、100万石の大大名の格式と威厳を示す為、唐破風や入母屋破風の出窓などを随所に設置し実践的かつ秀麗な建物になっています。石川門は前田利家が金沢城に入った時にすでに建てられていたそうですが宝暦9年(1759)の大火により焼失し、天明8年(1788)に再建されました。現在の石川門は再建当時のもので、金沢城に残る数少ない遺構として昭和25年に国指定重要文化財(旧国宝)に指定されています。


