三島~伊豆の国(2)
御殿
①-⑪平成12年に重要文化財指定を受けた本殿(ほんでん)・幣殿(へいでん)・拝殿(はいでん)。三嶋大社では、本殿・幣殿・拝殿を総じて『御殿』と称している。建てられた時期が幕末だったからか、屋根はすべて銅版葺きだ。樹皮葺きなどを望むのは無理だったのだろうか。
本殿を流造りとする複合社殿。奥から本殿・幣殿・拝殿。総欅素木造り(そうけやきしらきづくり)。嘉永7年(1854)11月4日の東海地震で罹災し、その後再建された社殿。時の神主矢田部盛治の指揮のもと、全国にて再建のための勧進を行い、慶応2年(1866)9月9日、本殿・幣殿・拝殿の落成をみました。境内の主要建造物はこの時全て再建され、明治元年(1868)にかけて随時落成しました。
社殿彫刻は、当代の名工小沢半兵衛・小沢希道親子とその門弟のほか、後藤芳冶良らによるもの。社殿彫刻としては高い完成度と美術的価値をもちます。











国の天然記念物の指定を受けた金木犀
⑫-⑬樹齢1200年を超える古木とは畏れ入る。薄黄木犀ということは、厳密には金木犀ではないのかもしれないが、学者ではないので、こだわらないでおこう。少し花の色が淡い感じだし、よく枝分かれしているし、素人にも種が若干違う感じはしないでもなかったが、…。
⑫のみFree画像を借用


昭和9年5月1日、文部省告示第181号により、文部大臣から国の天然記念物の指定を受けました。
学名は薄黄木犀(うすきもくせい)。薄い黄色の花をつけ、甘い芳香が特徴です。
樹齢は1200年を越えると推定される巨木で、現在もっとも古く、かつ大きなモクセイとして知られています。
円形に広がり、地面に届くほど垂れている枝先がこの木の生きた歳月の長さを物語っています。
薄黄色で可憐な花は甘い芳香を発し、それは神社付近はもちろん遠方までにおよび、時には2里(約8キロ)先まで届いたと伝えられています。
9月上旬より中旬にかけ、黄金色の花を全枝につけ、再び9月下旬より10月上旬にかけて満開になります。
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摂社・若宮神社
⑭社殿の左手に位置する。『古くは八幡宮・若宮八幡宮または若宮社等と呼ばれた。ご祭神は、物忌奈乃命(三嶋大神の御子神)・誉田別命(応神天皇)・神功皇后・妃大神を祀る社である』と記されている。

三嶋大社の創建については、面白い伝承が残っている。それと関連するので、ここに紹介する。
大社の現在地には譽田別命(ほんだわけのみこと・第十五代応神天皇)を祀った若宮神社があった。この地にやって来た三島明神が「藁一束分の土地を譲ってくれ」と頼んだため、その程度なら構わないと考えて承諾すると、三島明神は束を解き藁をつなげて広大な土地を囲ってしまった。そのため追い出された若宮八幡は1km以上離れた現在の西若町に移転を余儀なくされ、腹を立てて大社に背を向け社殿を構えた。
これが三島市西若町の境外摂社若宮神社であり、1kmほど離れているようだ。
摂社・見目神社
⑮若宮神社と同じく、本社と最も関係の深い社で摂社という。御祭神は三嶋大社の后神六柱を祀る』と記されている。
后神は、波布比賣命、久爾都比咩命、伊賀牟比咩命、佐伎多麻比咩命、伊波乃比咩命、優波夷命だそうだ。

境内左手の境内社(末社)
⑯大楠社(大楠神)、天神社(瓊瓊杵尊)、聖神社(聖神)、第三社(第三王子)、幸神社(猿田彦神)。特に案内板がなく、寂しい扱いだ。

境内右手の境内社(末社)
⑰小楠社(小楠神)、第二社(第二王子)、酒神社(豊受比賣神)、飯神社(保食神)、船寄社(鹽土老翁)。こちらも同様に案内板がなく、寂しい扱いだ。
