三島~伊豆の国(1)
静岡県三島市には、流刑時代の源頼朝が崇敬し、源氏再興を祈願した三嶋大社がある。旧社格は官幣大社。市名もこの大社の名前に由来する。
神社社屋は、1854年(嘉永7年)11月4日の東海地震で罹災して壊滅的打撃を蒙った。全国から修復のための基金を集め、1866年(慶応2年)9月9日、本殿・幣殿・拝殿の落成を見た。境内の主要建造物はこのときすべて再建され、1868年(明治元年)にかけて随時落成した。
歴史を誇る神社でありながら、建物が比較的新しいのはそのためである。総門建築中の1930年(昭和5年)にも、北伊豆地震に見舞われた。他の寺社で不幸にも建物が滅失するのは、火事による焼失が殆どだが、三嶋大社の場合は事情を異にする。地震に対する警戒心が強い土地であるのは、こうした事情があるからのようだ。
総門
外構えの門で、昭和6年竣工。昭和の神社建築の代表的建物の一つに数えられ、格調の高さは有名なようだ。



神門
寺院の山門に対して神社では神門。総門の内側にある。ここから先は、神聖な区域に入る。
唐破風になっているから唐門というのかと思ったら、ごく普通に神門と称しているようだ。1867年(慶応3年)竣工。私はこの唐破風が何故か大好きで、いつも真剣に見入ってしまう。



舞殿
古くは祓殿と呼ばれ、神楽祈祷を行ったが、後には主として舞を奉納したので、舞殿と呼ばれるようになった。現在は舞のほか、田打ち神事、豆撒き神事などの神事、祈祷・結婚式なども行う。今回はお日柄が良くなかったようで、結婚式はなかったが、前回行ったときにはかなり賑わっていた。
御殿と同じ年の竣工だが、御殿は国の重要文化財に指定され、こちらは指定されていない。その扱いの違いは何なのだろうか。1930年(昭和5年)の北伊豆地震の被災で一部改修を加えたからだろうか。
御殿の手前、舞殿には、「二十四孝」という中国に伝わる親孝行のお話を題材にした彫刻が巡らされています。この二十四孝というのは、今からおよそ700年ほど前、中国の元の時代に郭居業がまとめた物語です。
「欄間」と、その上の「小壁」に1話ずつ。1面に3組6話を配し、四方で24話が彫られています。



舞殿と御殿(三嶋大社では、本殿・幣殿・拝殿を総じて『御殿』と称している…国指定の重要文化財)
