軽井沢-海野宿-小諸-富岡を回る小旅行(1)
行きがけの妙義山
①行きがけに妙義山を見るべく道の駅に車を止める。 なかなか、あの奇妙奇天烈な山容を写すことができない。

②-③道の駅で昼食をと考えていたが、狭く、混んでいたので、やむなくおぎのやへ向かう。ここで『峠の釜めし』と『味噌汁』のセットを注文。


腹ごしらえをしたところで、熊野皇大神社に向かう。旧軽銀座を過ぎて右折。聖パウロ教会の駐車場に車を入れるのかと思いきや、旧軽銀座そのものに入る。その後、よく分からない道を延々と上り、熊野皇大神社の近くまで来ているのだと理解した。
見晴台
まずは見晴台に行く。ここも群馬県と長野県の境にまたがる。昔風に言えば、上信国境ということになる。
④-⑤頭が飛び出したような形が妙義山


⑥右上端辺りに三角錐のようにかすかに見えるのが富士山だそうだ。相当に遠く見える。

⑦なんとか落葉せずにいた紅葉

⑧-⑨群馬県側を眺める人たち。ここからは長野県側はよく見えない感じ。


⑩-⑪県境はこんなふう


見晴台から歩いて熊野皇大神社に向かう
熊野皇大神社
軽井沢にはかなり来ているのに、この神社の存在はまったく知らなかった。知らないながらも走水神社に続いて、熊野皇大神社にやってきた。日本書紀に縁のあるというか密接な繋がりのある2つの神社を訪問できたとはなんたる幸運なことか。
案内には『日本武尊が東国平定の帰路に碓氷峠にて霧にまかれた時、八咫烏の道案内により無事嶺に達することが出来、ここに熊野の大神を祀ったと伝えられています。
碓氷嶺に立った尊は雲海より海を連想され、走水で入水された弟橘比売命を偲ばれて、「吾嬬者耶(あづまはや…我が妻よの意)」と嘆かれました。(日本書紀より)
鎌倉時代には武士団から篤い崇敬を受け、江戸時代には諸大名を始め、多くの人々が中山道を行き来しました。関東の西端に位置し、西方浄土、二世安楽、道中安全を叶える山岳聖地として、権現信仰が最も盛んとなりました。「碓氷峠の権現様は主の為には守り神」と旅人に唄われ、追分節の元唄となって熊野信仰が全国に伝わっていきました。』とある。
神社入口
⑫-⑰右側が群馬県で左側が長野県のようだ。






神門
⑱-㉑山門に対して『神門』というようだが、『熊野皇大神』と書かれてある。随身像があるから『随身門』というべきものかなあ。




石の風車
㉒-㉓追分節に「碓氷峠のあの風車 たれを待つやらくるくると」と謳われた石の風車。元禄元(1688)年建立というから相当に古いものだ。


境内の様子
㉔-㉕本宮社殿
左側から、長野県側に鎮座「那智宮」(祭神:事解男命)、県境に鎮座「本宮」(祭神:伊邪那美命・日本武尊)、群馬県側に鎮座「新宮」(祭神:速玉男命)の三社殿が並ぶ。本宮の中心で長野県(左側)と群馬県(右側)とに分かれる。


㉖-㉗本宮等を横から見る


㉘斜めから見る。境内の石畳は明暦3(1657)年築造だそうだ。

㉙新宮(群馬県側)

㉚-㉛左の高い建物が長野県側に鎮座する『那智宮(祭神:事解男命)』の本殿のようだ。その前(右横に見える)が拝殿だろう。


㉜-㉝左脇殿


㉞-㉟右脇殿


㊱樹齢800年の御神木・シナノキ

神社下にて
㊲-㊳こんなバスが走っているんだ


室町時代中期建立の狛犬なんだそうだ。残念ながら見落としてしまった。
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