京都小旅行(3)
前回書くのを忘れたが、伏見稲荷大社に参拝したのは今回が初めてだ。いつでも行けるはずだと思うと、意外に行かないままになったりするものだ。この歳になると、流石に困った時の神頼みをしなくても済むようになり、素直に参拝できる感じになったのかもしれない。
2012年1月8日・1月15日にBS朝日で放送された『知られざる物語 京都1200年の旅』の『新年に詣でる 伏見稲荷の謎』などを見るとはなしに見ていたので、初めて訪れるような気がしない。

番組予告文から
「お稲荷さん」で親しまれている「稲荷神社」の総本宮「伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)」。毎年、三が日で250万人以上が初詣に訪れ、その人数は京都にある神社や寺院の中で最も多いと言われています。なぜ「お稲荷さん」は、ここまで人々を惹きつけるのでしょう?伏見稲荷大社の起源をたどりながら、その謎に迫ります。
境内を歩くと、まず目に付くのが、稲荷神社のシンボルとも言える「キツネ」の像。宝物庫の鍵をくわえたキツネ、口から清らかな水を流すキツネなど、様々な姿の像が見る者を楽しませてくれます。このキツネ=稲荷神社の神様、と思っている人も多いようですが、そうではなく、実は「稲荷神社の神の使い」なのです。
稲荷神社の神は「稲荷大神(いなりおおかみ)」とも呼ばれ、奈良時代、稲荷山(いなりやま)に降り立ち、そこに社を建てたのが伏見稲荷大社の始まりだと伝わります。稲荷大神は、商売繁盛、家内安全、病気平癒など、あらゆる御利益を持つ守護神として信じられていますが、もともとは五穀豊穣を司る「農耕の神」。昔から農業に携わる人々に広く親しまれてきたのです。
かつて稲荷大神が降り立ったとされる稲荷山。色鮮やかな朱色の鳥居が立ち並ぶ「千本鳥居」を抜け、山道を進むと…そこには、勝負の神、目の病を癒すという神など人々に身近な社が多く点在しています。さらに、山中の至る所で目にすることができるのが、石で作られた「お塚」。これは、お稲荷さんを詣でる人たちが、心の拠り所として奉納したもの。その数は、実に1万基以上。それほど、たくさんの人々に信じられてきたことを示しています。そして…無数にあるお塚の中に、松也さんと深いゆかりのある人物のお塚を見つけました。果たして、その人物とは?
また、他にも華やかな祇園の町中にある稲荷神社、デパートの屋上にある稲荷神社など、生活の中に溶け込んだお稲荷さんも訪ねます。そして、いつの時代も変わらず心の支えとなっている「人々とお稲荷さんの神秘のつながり」をひもときます。
千本鳥居
日付を見るとそれほど古いものは見当たらなかった。よく見ると、少し朽ち始めたものもあったが、総じて建立時の勢いを保っているものが殆ど。何年以上かが経過すると、お焚き上げのようなことをするのだと思うが、どれくらい年数経過で行うのだろうか。つまらないことが気になった。
トリイとは「通り入る」の意味で、神の聖地・聖域を表します。
そして朱色は魔よけを意味し、古代より生命力のある神聖な色とされ、特に稲荷神の神徳である豊穣を象徴する色として稲荷神社の建造物に用いられています。
鳥居の納年は近年のものがほとんどで、お山全体では数万基に及ぶそうです。




奥社奉拝所
大抵の人がここまでは足を運ぶはず。私はもう少し先まで歩いてみた。
奥宮より朱塗りの長い千本鳥居を潜りぬけると、奥社奉拝所が現れます。
命婦谷(みょうぶだに)と称されるところで、稲荷山三ケ峰が、この社殿の背後にあり、一般には奥の院と呼ばれています。
この神社はお山の神々を遥拝(ようはい)するために設けられたもので、社殿は室町時代・明応年間(1500年頃)の創建であります。
奥社(奥の院)背後の山肌に祀られた「稲荷大神」は注連縄が架けられた大きい岩が神である。


以下2点はFREE画像を借用


おもかる石
かなりばてていたので、願い事も思い浮かばないままに持ちあげてみた。結構重く感じた。願い事をしてもいなかったのでショックはなかったものの、自分の筋力の低下に驚いてしまった次第だ。
灯籠の前で願い事を祈念して石灯籠の空輪(頭)を持ち上げそのときに感じる重さが自分が予想していたよりも軽ければ願い事が叶い重ければかなわないとする試し石で、一般には「おもかる石」の名で親しまれている

伏見人形窯元 丹嘉
伏見街道を東福寺方面へ上っていくと、お店が見えた。気になったのだが、ヘロヘロ状態でお店に飛び込む勇気も出なかった。
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