三渓園の財団設立60周年記念重要文化財建造物10棟一挙公開(10)
ここだけは常時開放している建築物なので、特段目新しいものはない。とは言うものの、地方出身者の私には、本当に落ち着ける場所だ。
此処の食器や調理器具を見た限りでは、質素な食事が日常食で、蕎麦や豆腐がごちそうだったのかもしれない。手のこんだ料理は専ら客用のものだったのだろう。こんな調理器具を使った手間のかかる暮らしは、現代人にはとても耐えられそうになさそうだ。
この建物の特徴は、合掌造りの二大機能である「住居」と「仕事場」のほか「宿泊施設」機能が付加されている点だそうだ。そのため、式台玄関が設けられ、当時の民家にしては類を見ないほど畳の部屋が多く、建物自体が大きくなっている。1階の玄関から左半分が、家人が通常使用しない部分だったそうだ。
もったいない話だが、客人をもてなすことは土地の有力者としての大切な役目だったのだろう。そこまでして地区の為を考えたのは、『塩硝』と呼ばれる火薬の原料を密かに作っていたことに関連するのだろうか。










もてなし用の部屋で家人が使用したわけでは無さそうだ。



式台玄関が設けられている



「ネソ」と呼ばれるマンサクの若木の結束材も効果的に使われている。

この階段の上に中2階の部屋があり、そこが息子夫婦の寝室だったそうだ。

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