三渓園の財団設立60周年記念重要文化財建造物10棟一挙公開(9)
旧燈明寺本堂
内部を見ることが出来、本当に良かった。素晴らしい本堂だったのだろう。そこに鎮座していたご本尊などは、下記URLにあるとおりだが、それらを収めるのにふさわしい堂宇だったようだ。しかし、台風により大被害を受け、解体して放置され朽ち果てる寸前だったものを、よくぞ再生できたものだ。再生保存技術の粋が込められているのだろう。だからこそ、東北大震災の長周期振動によるダメージにも耐えることが出来たのだろう。
室町時代初期の建築とされる本堂は、昭和五十七年に燈明寺から三渓園へ移築されました。
内部は、外陣を吹放しにし、内陣の周囲には、直径一・六尺もの太い柱を立て、上部の大きな虹梁とともにがっしりとした造りになっています。内陣、外陣の境は全て格子戸引違、上部を菱格子の欄間とするのは、中世密教本堂の典型的な構えです。
内陣に安置された三間の春日厨子は我が国最大で、全面、黒漆塗で、細部に施された極彩色が映えます。




内陣に安置された三間の春日厨子は我が国最大で、全面、黒漆塗で、細部に施された極彩色が映えている。そこには、十一面観音菩薩立像のレプリカが残されている。











燈明寺の仏像の写真があるHPへjump
『財団設立60周年記念重要文化財建造物10棟一挙公開』に当たっての案内記事へjump
内部を見ることが出来、本当に良かった。素晴らしい本堂だったのだろう。そこに鎮座していたご本尊などは、下記URLにあるとおりだが、それらを収めるのにふさわしい堂宇だったようだ。しかし、台風により大被害を受け、解体して放置され朽ち果てる寸前だったものを、よくぞ再生できたものだ。再生保存技術の粋が込められているのだろう。だからこそ、東北大震災の長周期振動によるダメージにも耐えることが出来たのだろう。
室町時代初期の建築とされる本堂は、昭和五十七年に燈明寺から三渓園へ移築されました。
内部は、外陣を吹放しにし、内陣の周囲には、直径一・六尺もの太い柱を立て、上部の大きな虹梁とともにがっしりとした造りになっています。内陣、外陣の境は全て格子戸引違、上部を菱格子の欄間とするのは、中世密教本堂の典型的な構えです。
内陣に安置された三間の春日厨子は我が国最大で、全面、黒漆塗で、細部に施された極彩色が映えます。




内陣に安置された三間の春日厨子は我が国最大で、全面、黒漆塗で、細部に施された極彩色が映えている。そこには、十一面観音菩薩立像のレプリカが残されている。











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