三渓園(17) - 三渓園_2013_April
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三渓園(17)

旧燈明寺本堂
旧燈明寺は、天平年間行基の開創と伝える。聖武天皇・清和天皇勅願。あるいは貞観5年(873)真暁(弘法大師弟子)が開基したとも伝える。何れにしても、由緒ある寺院であった。しかし数奇な運命を辿り、建武の兵乱で一度廃絶の憂き目に遭っている。
康正年間(1455-1456)、天台僧忍禅が復興し、本堂・三重塔を建立する。その後、再び荒廃する。
寛文3年(1663)頃、本國寺日弁(便)によって再興。本堂・三重塔を修理。寛保3年(1743)日賢が三重塔を修理。
というように何度も浮沈を繰り返してきた。
止めは、廃仏毀釈運動の煽りを受けたことだろう。この流れの中で廃寺になったと推測されている。御霊神社だけは現在も当時と同じ位置に存在している(重文)。そして、明治34(1901)年に、川合芳太郎が燈明寺を買収。大正3(1914)年に、まず、三重塔を横浜三渓園に移転。その時点で廃寺にはなっていたものの、本堂は残っていた。しかし、昭和23(1948)年に台風により本堂が大破し、解体保存がなされた。その後も、再建の方策を模索していたが、どうしようもなく、三重塔の売却で縁があった三渓園に話が持ち込まれた。
ということで、昭和57(1982)年に、横浜三渓園に本堂部材を移動。三渓園で再建される。この本堂部材の傷みが相当に激しく、相当なテコ入れがなされたようだ。詳しいことは下記URLを参照されたい。

旧燈明寺本堂_1
旧燈明寺本堂_2
旧燈明寺本堂_3
旧燈明寺本堂_4
旧燈明寺本堂_5
よく見ると仏像が安置されている。燈明寺の旧仏は本物は京都府木津川市兎並(うなみ)(旧相楽郡加茂町)の御霊神社に保管されているそうだが、これは果たして何なのか。調べたら、この堂内にあるのは御霊神社に保管されている十一面観音のレプリカのようだ。
十一面観音のレプリカ_1
十一面観音のレプリカ_2

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AzTak
Posted by AzTak
投稿 2013年05月03日
最終更新 -0001年11月30日

2 Comments

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ひかる  

こんばんは♪
いつも素晴らしい文化財などのご紹介、ありがとうございます。
拝見して楽しく勉強させていただいてます。と言いましても、その場限りでアタマには残らないのですが…。
わたしの住む地には昔使われていた農村舞台が多く残されています。
田舎の人たちが昔、祭りなどで芝居や田舎歌舞伎を楽しんだ所のようで随分古い建物です。
寂れた名も無い建物ですが、そんな所を観ることも楽しい里歩きのひとつです。

2013/05/03 (Fri) 21:26

AzTak  

Re: タイトルなし

> こんばんは♪

ひかるさん、こんばんは。

> いつも素晴らしい文化財などのご紹介、ありがとうございます。
> 拝見して楽しく勉強させていただいてます。と言いましても、その場限りでアタマには残らないのですが…。

こちらこそ、谷地坊主の上に張った氷、いろいろな美しい野の花、…印象に残る写真を拝見し、楽しませていただいています。あれだけのものはそう簡単には集めて来ることが出来ないと思っています。その努力には頭がさがる思いです。

> わたしの住む地には昔使われていた農村舞台が多く残されています。
> 田舎の人たちが昔、祭りなどで芝居や田舎歌舞伎を楽しんだ所のようで随分古い建物です。
> 寂れた名も無い建物ですが、そんな所を観ることも楽しい里歩きのひとつです。

農村舞台で、富士にも白馬にも、アスセスできるところだと、氷柱の紹介記事があった小鹿野町が思い浮かびますが、…。まあ、個人情報は明かさない方が宜しいんでしょうね。
私もあまり新しい建物よりも古い建物、昨日や今日始まったものより古来から伝承されているもの、そんなものが好きになって来ました。人間が多少枯れてきたのかもしれません。


2013/05/03 (Fri) 22:13

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