三渓園(10) - 三渓園_2013_April
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三渓園(10)

大池(3)
再び大池の前に出た。此処は三重塔の真下で、涵花亭(かんかてい)なども見えて、落ち着く風情を漂わせている。
大池_3_1
大池_3_2
大池_3_3
振り返ると三重塔が
振り返ると三重塔が

三重塔や松風閣へ向かう道
いよいよ一番高いところに登る
三重塔や松風閣へ向かう道_1
三重塔や松風閣へ向かう道_2
三重塔や松風閣へ向かう道_3
三重塔や松風閣へ向かう道_4
三重塔や松風閣へ向かう道_5

松風閣
明治初年に、原善三郎(三溪の養祖父)、三溪園一帯の土地を購入し、明治20年代に善三郎が三溪園の南端、本牧海岸寄りに山荘『松風閣』を建てた。これが三渓園の始まりだ。
説明板によれば、伊藤博文が『松風閣』と命名したとのこと。
廃墟は煉瓦造りの玄関部分。窓などに中国風の意匠が施されていた。松風閣の一室『観山の間』には、原三溪が支援し最も好んでいた下村観山の『四季草花図』の障壁画があった。関東大震災で建物とともに焼失したそうで、残念な事この上ない。

松風閣の跡_1
松風閣の跡_2
松風閣の跡_3
松風閣の跡_4
展望台
昔はこの崖下は海岸だったはずだが、今では、大規模工場がズラリ並んでいた。私が勤務していたことがある工場も見える。更には、富士山も望める。下のテニスコートではテニスに興じたこともあった。
展望台
展望台からの展望_1
展望台からの展望_2
展望台からの展望_3
富士山が見えた
展望台からの展望_4
展望台からの展望_5
AzTak
Posted by AzTak
投稿 2013年04月26日
最終更新 -0001年11月30日

12 Comments

There are no comments yet.

なかまち  

おはようございます。
富士山のカットに ハッ! と致しました。
素晴らしい1枚ですね。

2013/04/26 (Fri) 08:57

kozoh55  

おはようございます

AzTakさん。
松風閣はほんとうに残念でしたね。
どんな姿だったか、見てみたかったですね。
そしてそこからの太平洋の眺め、
贅沢というものの意味を知っている
方々だったのでしょうね。
あの煉瓦の廃墟がこの地での
一番のお気に入りで、
私は最近、下町系ではなく、廃墟系なのかなと
ついつい感じてしまいました。
途中の坂が、またよかったですねえ。
またお邪魔します。

2013/04/26 (Fri) 09:18

AzTak  

Re: タイトルなし

> おはようございます。

なかまちさん、こんにちは。ちょっと外出していて遅くなりました。

> 富士山のカットに ハッ! と致しました。
> 素晴らしい1枚ですね。

副都心の超高層ビルで仕事をしていると西の方角に富士山が見えます。もう少しすると、陽炎がたったりする時期で、新宿からでは半年くらいは見えない時期が続きます。ここ磯子・根岸あたりでも状況は同じかと思います。
たまに見えたりすると、何のことはないはずなんですが嬉しくなってしまいます。紛れもなく、日本人なんだなと思う瞬間です。

2013/04/26 (Fri) 15:22

AzTak  

Re: おはようございます

kozoh55さん、こんにちは。

> AzTakさん。
> 松風閣はほんとうに残念でしたね。
> どんな姿だったか、見てみたかったですね。

どうして原三渓氏は、松風閣の復旧をしなかったのでしょうか。多分、敷地の大部分が崩れたからなんでしょうが、返す返すも残念なことでした。こんなことがなけtれば、オリジナルの文化財指定もあったことだろうと思います。

> そしてそこからの太平洋の眺め、
> 贅沢というものの意味を知っている
> 方々だったのでしょうね。

あそこは太平洋ではなく、東京湾です。もしかしたら、鎌倉方面の方を見たら、正確には相模湾でしょうが、太平洋と言っても良い部分が見えたかもしれませんね。
なお、この崖の下は、かつては海岸で、1959年に埋め立て開始のようです。本牧三之谷の住民にそこで海水浴や潮干狩りをしたと聞いたことがあります。

> あの煉瓦の廃墟がこの地での
> 一番のお気に入りで、
> 私は最近、下町系ではなく、廃墟系なのかなと
> ついつい感じてしまいました。

危ない方向に進んでいますねえ。(´∀`*)ウフフ

> 途中の坂が、またよかったですねえ。

体調不良の日だったので、めちゃくちゃ脂汗をかいてしまいました。ガキの頃だったら、この程度の勾配&距離は、簡単に走って上り降りしたものでしたが。でも、あそこはゆっくり踏みしめるように歩くところでしょうね。

> またお邪魔します。

お待ちしています。

2013/04/26 (Fri) 15:37

JUN  

こちらに移り住む前に妻と二人で撮影に行きました
何処も知っている風景ばかり
懐かしさでホームシックに罹りそうです

竹やぶなんてこちらには無いし
何と言っても富士山が最高です
コンビナートとのマッチングは素晴らしい

2013/04/26 (Fri) 21:39

いどきち  

こんばんは

いつもど迫力の大画面にびっくりします。
枚数も半端じゃないし、毎日相当な努力をされて
いるの驚き、おそれ入りました。

2013/04/26 (Fri) 22:05

Mika  

こんにちは♪

松風閣は本当に残念です!
パネルにある写真で見るとユニークなデザインですね。
地震で消失では、仕様がないのでしょうが
一目見てみたかったです。
でも、富士山は見れました。
思わず拝んじゃいましたよ(笑)

AzTakさん、テニスもされていたとは
スポーツマンですね(^^)v

2013/04/26 (Fri) 23:20

AzTak  

Re: タイトルなし

JUNさん、こんばんは。

> こちらに移り住む前に妻と二人で撮影に行きました
> 何処も知っている風景ばかり
> 懐かしさでホームシックに罹りそうです

そうですね。こちらが地元だったんですよね。

> 竹やぶなんてこちらには無いし
> 何と言っても富士山が最高です
> コンビナートとのマッチングは素晴らしい

原家の人はあそこから富士山を眺めていたんでしょうか。あそこに上るのはちょいと足腰が弱ると難しそうですが、富士山と磯子の海が見えたら、元気が湧いたのかもしれませんね。

JX日鉱日石エネルギーの製油所がなんといっても大きいですね。私の勤め先も相当に広大な敷地でしたが、少し離れているので、かなり小さく見えて情けなかったです。

2013/04/26 (Fri) 23:50

AzTak  

Re: タイトルなし

> こんにちは♪

Mikaさん、こんばんは。

> 松風閣は本当に残念です!
> パネルにある写真で見るとユニークなデザインですね。
> 地震で消失では、仕様がないのでしょうが
> 一目見てみたかったです。

多分、当時の原三渓氏の財力を持ってすれば再建が出来ないことはなかったのでしょうが、多分、敷地の主要部分が崩れてしまったんだと思います。そうなっては、…。

> でも、富士山は見れました。
> 思わず拝んじゃいましたよ(笑)

外国に住んでオラれても富士山は懐かしいですか。

> AzTakさん、テニスもされていたとは
> スポーツマンですね(^^)v

やったことがあるだけで、ど下手です。本牧市民公園で当時は相当に面数の多いテニスコートでした。
大学の授業にも出ずに、本牧くんだりまで出張って何をしていたんでしょうね。イカれた大学生時代でした。

2013/04/26 (Fri) 23:56

AzTak  

Re: こんばんは

いどきちさん、こんばんは。

> いつもど迫力の大画面にびっくりします。
> 枚数も半端じゃないし、毎日相当な努力をされて
> いるの驚き、おそれ入りました。

有難うございます。
もう少し簡潔にしなくちゃいけないと思いつつ、好きなものには熱くなってしまっています。
あと何回かこらえてください。

2013/04/27 (Sat) 00:05

Roman  

こんにちは。
三溪園楽しく拝見しています。
昔は海だったということが書かれていますが、私が知っている三溪園はたしかに海でした。
昭和30年ころまでいたので、その後根岸から本牧にかけて埋め立てられ、海岸が遠くに行ってしまいました。
その頃は本牧でも海苔漁師さんもまだたくさんいたのを覚えています。
海に潜って魚をとったりもした記憶もあります。
もちろん三溪園は子供の遊び場でザリガニとりに夢中でした。
数年前に三溪園の昔の写真を集めた冊子を見せてもらったことがあります。
懐かしい思い出が蘇りました。
AzTokさんはこの工業地帯にお勤めだったんですね。
また違った思いがありますね。
八聖殿山の下も海でよく崖から身投げする人がいたのです。思い出話ですみません。

2013/04/27 (Sat) 09:25

AzTak  

Re: 海

> こんにちは。

Romanさん、こんにちは。

> 三溪園楽しく拝見しています。
> 昔は海だったということが書かれていますが、私が知っている三溪園はたしかに海でした。
> 昭和30年ころまでいたので、その後根岸から本牧にかけて埋め立てられ、海岸が遠くに行ってしまいました。
> その頃は本牧でも海苔漁師さんもまだたくさんいたのを覚えています。
> 海に潜って魚をとったりもした記憶もあります。
> もちろん三溪園は子供の遊び場でザリガニとりに夢中でした。
> 数年前に三溪園の昔の写真を集めた冊子を見せてもらったことがあります。
> 懐かしい思い出が蘇りました。

昭和30年頃は、たった1年ですが、函館に住んでいました。それ以外は中学卒業まで、いわきに引っ込んだままでした。無理に埋め立てなくても良かったのにと思いますが、私の勤め先も随分環境悪化に加担してしまったかもしれませんね。

> AzTakさんはこの工業地帯にお勤めだったんですね。
> また違った思いがありますね。

勤務先は根岸ではなく新磯子町の辺りでした。大した距離では無いようですが、駅から歩くとメチャ遠いところでした。新人の頃、LPGタンカー第十雄洋丸の衝突炎上事故がすぐ目と鼻の先の海域で発生しました。

> 八聖殿山の下も海でよく崖から身投げする人がいたのです。思い出話ですみません。

まあ、明るい時代が来るか来ないかくらいの時代でしたもんね。昭和35年頃に山下町や山手町辺りを見て回ったことがありました。近くのテーブルに座っていた客が朱色の液体を威勢よくふりかけ、一口頬張ったら、大声を上げてのたうちまわっていました。タバスコの存在など知っている人が少なかった時代でした。

2013/04/27 (Sat) 17:18

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