三渓園(8)
これが原家だけの持仏堂だったとは。あまりの驚きに言葉も出てこない。
もとは、建長寺の近くにあった心平寺の地蔵堂で、1916年(大正5年)に移築されました。 建築様式は禅宗様(ぜんしゅうよう)を主体としています。
ひとこと&みどころ
三溪園では、原家の持仏堂とされました。
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この堂は、明治末年に原三渓が鎌倉より買い取り、持仏堂として使用していたものです。
由緒は明らかではありませんが、慶安四年(一六五一)の建築で、建長寺の近く巨福呂坂に面して建つ心平寺の地蔵堂と考えられています。
大衆信仰の仏堂であったらしく、禅宗様ではあっても仏殿の形式とは異なっていて、板敷きの床に、かつては縁、高欄を巡らせていました。また、内外とも黒漆塗であったということから、素木造の仏堂が多い鎌倉では、一際、目を引いていたことでしょう。


天授院天井…FREE画像を借用

天授院須弥壇と厨子(しゅみだんとずし)…FREE画像を借用

天授院内部…FREE画像を借用

途中の道筋
月華殿などへ向かう石橋

写生をしていたアメリカンスクールの子どもたち


下り道
下り道も風情がある。というか足腰が既にきつくなっていて、『これ以上上らないで済むのは助かる』とこの時は思ったのだが、…。

花も咲いていた

