今井聖書館講堂
此処は教会ではなく、あくまでも聖書の講義を行うための講堂だったのだ。
表で写真を撮っていたら、中を見せてもらえることになった。有難く講堂に入って、見学させていただき、説明を伺い、写真をも撮らせていただいた。親切な申し出に感謝。
外観
向かって右側の今井館資料館は近年に建築されたもの。




内部

そんな不届きなものはいなかったと思うが、この大きさでは居眠りなどしようものなら内村鑑三から丸見えだったはずだ。でもそんな受講者はいなかったはずだろうから、内村鑑三は受講者の表情を見ながら説明していったのではないかと思うが、果たしてどうだったのか。

若き日の内村鑑三


晩年の内村鑑三

矢内原忠雄
内村鑑三の弟子で、東大総長を務めた矢内原忠雄。第二次大戦後、彼もここ目黒区中根で日曜の聖書講義をおこなったそうだ。私が学生の頃は、ご子息の矢内原勝教授が活躍されていた。

演壇・机・椅子
演壇だけは当時より少し低くしたとのことだが、机と椅子は内村鑑三が使用していた実物だそうだ。


今井館聖書講堂は、1907年、大阪の香料商、今井樟太郎(1869~1906)の意思にもとづき、未亡人信子から内村鑑三に寄贈された。贈り主の名にちなんで、今井館聖書講堂と呼ばれる。もと柏木の内村邸内にあったが、彼の死後、1935年に、東京府の道路整備計画ため取り壊しを余儀なくされたおり、門下有志(柏木教友会)の手で現在地に移築された。第二次大戦後は、矢内原忠雄(1893~1961)、山田幸三郎(1888~1972)がここで日曜の聖書講義をおこなった。現在は無教会キリスト教の伝道集会や各種の会合、催しなどに使われている。