圓融寺と碑文谷八幡宮とすずめのお宿(2)
かつては、荒れるに任せた感じの広大な敷地に鬱蒼と竹が密集するすごい場所だった。子どもたちが生まれた頃に公園として開業したのだった。
鬱蒼たる竹林
かなり伐採して明るさを保っている感じだ。昔はこんなものではなかった。


すずめのお宿をイメージした少女像

移築された古民家










元々は茅葺の屋根だが、防火対策上、金属板で覆われているとのことだ。

基礎となっている材木を直接地べたに置くのではなく、玉石の上に載せてある。江戸時代中期建築の特徴のようだ。






竈(おくどさん)


唐箕(とうみ)
風力を利用して穀粒の選別、混ざりものの除去を行う農機具


小洒落た花飾り


当地一帯は住宅地になる前までは農村で特に竹林が多く、目黒付近はたけのこの産地として知られていた。たけのこの生産は昭和初期ころまで続き、一帯の竹林にはすずめが多く飛び交い、いつしか「すずめのお宿」と呼ばれるようになった。やがて付近が宅地へと変わっていき、たけのこの生産も見られなくなってきた。そのような中地元の一住民(角田セイさん)の遺志により、没後自身の所有地が寄付されることになった。目黒区により公園として整備され「すずめのお宿緑地公園」として1981年4月1日に開園した。
公園はかつてのたけのこの産地であることを思わせるような竹林と遊具のほか、一角に当地付近(旧、衾村)にあった江戸時代中期建築の古民家栗山重治さん宅を移築・復元し、農村だった当時の暮らしぶりを再現しているのも特徴である。