日光へ行った(8) - 日光へ行った_2013_February
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日光へ行った(8)

東照宮(7)
神楽殿…重要文化財
春の大祭で神楽を舞う八乙女。かつては存在した東照宮専属の職制が現在では無く、大祭のときには二荒山神社から手伝いにきてもらうとのこと。えらく寂しい話だ。
陽明門の辺りから見た様子。左は祈祷殿
神楽殿_1
神楽殿_2
眠り猫の側から見た様子
神楽殿_3
神楽殿は寛永12年(1635)に建てられ、桁行3間、梁間3間、入母屋、銅瓦葺きの建物で反対側にある神輿社と対になっています。黒と金を基調とし高欄は朱色、組物、彫刻、欄間は極彩色で彩られ、内部は舞台が本社側を向き楽屋が背後に配されています。神楽殿は国指定重要文化財に指定されています。

和洋と唐様-からよう-(禅宗様)の折衷-せっちゅう-型の建物が多いなかで、神楽殿の様式は数少ない純和様。3間(1間=約1.8メートル)四方の建物の内部は、北向き正面の前2間分が舞台、後ろ1間分は楽屋になっており、背面は回廊に接している。上に大きく開く蔀戸-しとみど-を舞台の袖-そで-に設け、観客に神楽がよく見えるようにしてある。春の大祭では、この舞台の上で八乙女-やおとめ-が神楽を舞う。
八乙女は、東照宮が建立される以前は日光三社権現-にっこうさんじゃごんげん-(現在の二荒山神社-ふたらさんじんじゃ-)に奉仕する巫女-みこ-だった。東照宮に所属してからは「3石5斗2人扶持-3こく5と2にんぶち-」の身分をあてがわれ、定員8名の世襲制だったという。現在の東照宮には八乙女の職制はなく、大祭のときには二荒山神社から手伝いにきてもらうそうだ。


神輿舎…重要文化財
写真のようになっていて屋根から上しか見えない。これでは記録に残したい写真が撮れない。しかたがないので、フリーの写真をご覧いただく。
神輿舎_1
神輿舎_2
神輿舎は寛永12年(1635)に建てられ、桁行3間、梁間3間、入母屋、銅瓦葺き正面には軒唐破風が設えられる建物で反対側にある神楽殿と対になっています。黒と金を基調とし高欄は朱色、組物、彫刻、欄間は極彩色で彩られ、内部には千人行列で渡御する家康(中央)、秀吉(左)、頼朝(右)を祭った神輿が安置されています。天井には狩野派が描いた天人舞楽が描かれていて神輿が無い時真下で手を叩くと鳴き竜現象が起こるそうです。神輿舎は国指定重要文化財に指定されています。

陽明門に入って左側の建物で、なかに3基の神輿-みこし-が納められている。御輿とも書くが、それは平安時代に貴族を乗せて担いだ輿-こし-の尊敬語。神輿は神様の乗り物をいう。
中央の三葉葵-みつばあおい-の紋が入った神輿に乗るのが 東照宮の主祭神-しゅさいじん-である徳川家康公。向かって右の神輿は配祀神-はいしじん-の豊臣秀吉公、左が同じく配祀神・源頼朝卿の神輿だ。春秋の千人行列の正式名称は神輿渡御祭-しんよとぎょさい-、つまりこれらの神輿が主役である。55人で担ぐ神輿1基の重さは約800キロ。昭和40年代に新調された2代目だ。寛永-かんえい-13(1636)年製作の初代の神輿は約1120キロ。引退理由は現代人には重すぎるから。現在は東照宮宝物館に展示してある。
建物内部の天井画は「天女舞楽-てんにょぶがく-の図」。天女の絵では日本一の美人といわれている。


上社務所…重要文化財
神楽殿と共に
神楽殿_1
神楽殿側から見た様子
上社務所_1
上社務所_2
上社務所_3
上社務所_4
祈祷殿
江戸時代はここで日光門主-もんしゅ-(輪王寺宮-りんのうじのみや-)が護摩を焚-た-いて天下太平を祈願したという。明治の神仏分離に際して、仏教的建物であることを理由に境内から移転を命じられたが、社務所に使用する名目でここに据え置かれた。そのため、正式名称は今でも「上社務所-かみしゃむしょ-」で参拝者のご祈祷に使われている。
AzTak
Posted by AzTak
投稿 2013年03月01日
最終更新 -0001年11月30日

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