日光へ行った(1)
日光をすべて回る時間的余裕がとれないため、日光山内に限定して見て回る計画を立てた。
浅草から東武日光へ
いつの間にか浅草駅が綺麗な駅に変身していたのに驚いた

東武特急スペーシアで行く

電車を下りた直後はそんなに寒く感じなかったが

世界資産エリアは十分に寒そうな予感が

日光山輪王寺
比叡山延暦寺、東叡山寛永寺と並ぶ天台宗大本山の一つ。日光開山の起源から歴史が続く名刹で門跡寺院。ここから見て回ることとした。東照宮の南方の境内には重文に指定されている本堂(三仏堂)があるが、生憎、平成の大修理実施中で、写真に撮ることができる被写体は少なかった。
日光山を開いた勝道上人
日光がかつては山岳信仰の地として栄えていたのはこの上人のお蔭

本堂(三仏堂)…重要文化財
平成19年から平成30年までの長期修理を実施中。描かれている絵が本堂の実物大だそうだ。

金剛桜


大護摩堂
日光唯一の護摩祈願所。毎日3回護摩が行われている。



相輪橖(そうりんとう)…重要文化財
天下泰平の祈りを込めて家光の発願によって建てられた13.2mの青銅の塔。内部には千部の教典が収められているとのこと


輪王寺の堂塔は1か所にまとまっておらず、日光山内の各所に点在している。東照宮の南方の境内には本堂の三仏堂や寺務所があり、ここには本坊表門、護法天堂、相輪橖(そうりんとう)などがある。二荒山神社西側には大猷院霊廟の建築群があり、その南側には常行堂と法華堂、そこから長い石段を上った先には中興の祖・天海を祀る慈眼堂がある。勝道を祀る開山堂は東照宮北方、滝尾神社への参道の途中にある。このほか、神橋近くの二荒山神社本宮に隣接した四本龍寺の旧地には、観音堂と三重塔があり、少し離れて児玉堂がある。中禅寺湖畔の中禅寺(立木観音)も輪王寺に所属している。
:
天応2年(782年)、勝道は日光の神体山である男体山(2,486メートル)の登頂に成功した。観音菩薩の住処とされる補陀洛山(ふだらくさん)に因んでこの山を二荒山(ふたらさん)と名付け、後に「二荒」を音読みして「ニコウ=日光」と呼ばれるようになり、これが「日光」の地名の起こりであるという。男体山の山頂遺跡からは、奈良時代にさかのぼる仏具など各種資料が出土しており、奈良時代から山岳信仰の聖地であったことは確かである。