近所を散歩した(10) - 近所を散歩した_2020_Apr-May
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近所を散歩した(10)

円融寺(2)
円融寺は、激変の歴史を歩んできた。
かつては、妙光山法服寺と称し、天台宗の寺院であった。寺伝では853年(仁寿3年)円仁(慈覚大師)が法服寺を建立したとなっている。目黒といえば、目黒不動尊。これを808年(大同3年)に開創したのが、ほかならぬ円仁である。なので、円融寺の寺伝も信頼に足るものかもしれない。
ところが、寺伝の853年から430年後の1283年(弘安6年)、日蓮の弟子・日源により、日蓮宗に改宗し、妙光山法華寺と改称した。中世から近世にかけては吉良氏や徳川氏の外護を受け、坊舎18、末寺75箇寺を数えた。1630年(寛永7年)、身池対論(しんちたいろん)には法華寺から日進が臨んでいる。
見てきたようなことを言えば、不受不施派の旗頭は、池上本門寺といわれているが、実際には、当時の法華寺の方がはるかにラジカルだったようである。今の野党も顔色を失うほどの体制批判をもいとわなかったとか。それで、不受不施派は危ない一派だとみなされるようになっていったのかもしれない。
法華寺は不受不施派の寺院として江戸幕府の弾圧を受け、改宗を余儀なくされ、1698年(元禄11年)再び天台宗の寺院となった。1834年(天保5年)経王山円融寺と改称する。不受不施派とは、法華経信者以外からは施しを受けず、与えずという一派で、日蓮宗本山の久遠寺と対立し、江戸幕府からも弾圧された。日源の法脈は、当寺の改宗をもって完全に途絶えていった。当寺の尊像など、祖師像は妙法寺、三宝尊像は(目黒区中根の)立源寺、釈迦如来涅槃之図は(目黒区八雲の)常円寺、法華門は妙法寺、摩耶夫人像は摩耶寺など、所縁寺院に引取られていった。
然らば、日源とはいかなる人物だったのか。Wikipediaによれば、次のような人物だ。
当時、天台宗の実相寺の学頭を務め、智海法印と称した(播磨法印とも)。日蓮が一切経を閲読するため実相寺に入寺した時、摩訶止観の講義を聞いて感銘を受け、日蓮の弟子となり、日源と改名する。その後、官命により、実相寺5世となり、日蓮宗に改宗した。各地を布教して、法華寺・感応寺・法明寺・東光寺を法華の道場とした。

釈迦堂(2)
真横や背後から見た様子。どこから見ても、素晴らしい。
釈迦堂(2)_1
釈迦堂(2)_2
釈迦堂(2)_3
日源上人五重石塔
仁王門と並んで、目黒区指定文化財になっている。上述の歴史で触れたようなことがあって、不受不施派の有力寺院は徳川幕府に鉄槌を降り下ろされてしまったのだ。一番勢いがあったときの日源上人五重石塔が残っている。区指定文化財だ。
日源上人五重石塔
総高は約4.4メートル。碑文によると、日源上人の追善供養のため寛永13(1636)年に建立され、その後、文化11年(1814)に再興されている。この石塔は、軸石と笠石が別々の石で構成され、しかも軸石が高く、そのため雄大な五重塔となっている珍しい例である。各軸石には、上から「妙」「法」「蓮」「華」「経」と刻まれ、最下層の軸石には由来や造立者などが刻まれている。
円融碑
現代の石碑で、文化功労者豊道春海氏の筆によるもの。『融』の字を丸で囲み、右端に『無礙天真』と書かれてあるそうだ。恥ずかしながら、達筆すぎて全く読むことができなかった。合わせると『圓融無礙天真』となる。『天から与えられた人間の自己本来の姿は何事にも妨げられることなく、大宇宙の中に融け入って自由である』という意味合いになるようだ。う~~ん。
円融碑
その他の石造物
めぼしいものを見ておこう。
その他の石造物_1
その他の石造物_2
その他の石造物_3
その他の石造物_4
その他の石造物_5
AzTak
Posted by AzTak
投稿 2020年05月09日
最終更新 2020年05月09日

16 Comments

There are no comments yet.

ヒデの気まぐれ撮影日記  

写真の釈迦堂をじっと見ていると
なぜかいろいろな事を考えてしまいます。
この時代は釘もなかったと思うし
大型クレーンのような建設機械もなかったのに
どうすれば
こんな建物を建てることができるのだろう?
とか・・・
小学生と同じレベルの疑問で
じいさんのおつむの構造がわかりますね(笑)

2020/05/09 (Sat) 09:12

x都人x  

建物は言うまでもなく素晴らしいですが
色んな石仏があって興味深いですね~

中でも考える?石仏、、良いお顔されてますね^^

2020/05/09 (Sat) 11:05

MT  

おはようございます。

私はこの円錐のようなお墓(?)に目が釘づけです。
この石造物はいったい何なのでしょうか。画的にもとても面白い被写体に感じます。
また、お墓の上の石仏(?)のお写真もあまり見ることがなく、円融寺の歴史の特殊さからくるものなのでしょうか?

2020/05/09 (Sat) 11:20

りおん  

近くにこんなにたくさん、見どころがあるのは
うらやましい限りです~!!
うちのまわりは何もないですからね~。
しいて言えば海ですが、駐車場が閉鎖されているそうです。
ああ~そういえば、海を見たいなあ・・・

励ましのお言葉をありがとうございました!
がんばりますね!(๑•̀ㅂ•́)و✧

2020/05/09 (Sat) 11:54

のんびり熊  

こんにちは
この釈迦堂、シンプルですが良いですネエ
屋根の反り具合がまた良い。

2020/05/09 (Sat) 13:21

K.R.M  

こんばんは。
4,4メートルの五重石塔、一見大きな地震で倒れそうに見えるのですが、しっかりしているんですね。
いつも思うのですが、昔の建築技術の高さに驚かされます。釈迦堂も素晴らしいですね。

2020/05/09 (Sat) 17:04
AzTak

AzTak  

Re: タイトルなし

ヒデの気まぐれ撮影日記さん、こんばんは。

> 写真の釈迦堂をじっと見ていると
> なぜかいろいろな事を考えてしまいます。
> この時代は釘もなかったと思うし
> 大型クレーンのような建設機械もなかったのに
> どうすれば
> こんな建物を建てることができるのだろう?
> とか・・・
> 小学生と同じレベルの疑問で
> じいさんのおつむの構造がわかりますね(笑)

今現在は目黒区ですが、目黒不動のある賑やかな目黒村ではなく、純農村だったと思われる碑文谷村。10分ほど歩けば、碑文谷池があり、その昔は徳川将軍のお狩場があった土地。そんな時代のはるか昔。相当な田舎だったと思います。
何を好き好んでこのお堂を建てたのか、よくわかりません。

まあ、その前の鎌倉時代には、同様な田舎で漁村だった鎌倉に建長寺や円覚寺が建てられましたから、この程度の堂宇など、比較的簡単に建てることができたのでしょう。

2020/05/09 (Sat) 19:40
AzTak

AzTak  

Re: タイトルなし

> 建物は言うまでもなく素晴らしいですが
> 色んな石仏があって興味深いですね~
>
> 中でも考える?石仏、、良いお顔されてますね^^

宝暦十四年(1764年)の半跏思惟像半跏思惟像をイメージした石碑でしょうかね。高輪の住人がささげたもののようです。256年前のものなので、その程度の情報を書いても個人情報の暴露には当たらないでしょうね。(笑)
六十六部廻国…とありますから、その昔流行ったもののようですね。

2020/05/09 (Sat) 19:56

nagomi  

今晩は!

写真を拝見すると矢張り可成り歴史があるお寺のように思います。
何時もながら細かく写真を撮り分かり易く説明文を掲載しているので凄いです。
私には到底真似が出来ませんね。

2020/05/09 (Sat) 20:09
AzTak

AzTak  

Re: おはようございます。

MTさん、こんばんは。

> 私はこの円錐のようなお墓(?)に目が釘づけです。
> この石造物はいったい何なのでしょうか。画的にもとても面白い被写体に感じます。
> また、お墓の上の石仏(?)のお写真もあまり見ることがなく、円融寺の歴史の特殊さからくるものなのでしょうか?

円形に祀られた多くの板碑頂部に観音立像が祀られてあるものですね。どこでだか忘れてしまいましたが、似たようなものを見たことがあります。その意味合いは、ごめんなさい。わかりません。

三界万霊供養( 施餓鬼神供養 )のものでしょうかね。よく見てこなかったのですが、おそらく『三界万霊供養』と彫られた台座の石の上に亀趺(きふ)が乗り、さらに仏像が乗っているんですね。念が入ったもののようです。仏教のことに疎くて、何も説明できなくてごめんなさい。

2020/05/09 (Sat) 20:16
AzTak

AzTak  

Re: タイトルなし

りおんさん、こんばんは。

> 近くにこんなにたくさん、見どころがあるのは
> うらやましい限りです~!!
> うちのまわりは何もないですからね~。

この辺も何もない土地だから、寺院を建立できたのかもしれませんね。あとは強いて言えば、将軍のお狩場だった碑文谷池。埋め立てられ小さくなり、おまけに血なまぐさい事件の舞台にもなってしまったので、取上げませんでした。

> しいて言えば海ですが、駐車場が閉鎖されているそうです。
> ああ~そういえば、海を見たいなあ・・・

海は15年間見続けて生きてきました。潮騒の音が眠気を誘うんです。授業中ほとんど寝ていました。ときどき目を覚まし、教師の説明が間違っているなどと指摘するろくでもない中学生でした。

> 励ましのお言葉をありがとうございました!
> がんばりますね!(๑•̀ㅂ•́)و✧

元気を出してくださいね。

2020/05/09 (Sat) 20:27
AzTak

AzTak  

Re: タイトルなし

> こんにちは

のんびり熊さん、こんばんは。

> この釈迦堂、シンプルですが良いですネエ
> 屋根の反り具合がまた良い。

そうですねえ。鎌倉時代の名残のような感じがします。単純だけど美しいですね。

2020/05/09 (Sat) 20:29
AzTak

AzTak  

Re: タイトルなし

> こんばんは。

K.R.Mさん、こんばんは。

> 4,4メートルの五重石塔、一見大きな地震で倒れそうに見えるのですが、しっかりしているんですね。
> いつも思うのですが、昔の建築技術の高さに驚かされます。釈迦堂も素晴らしいですね。


日源上人五重塔はいつも凄いなあと思ってみています。日蓮宗の関係者が粛清され、この寺院も天台宗の寺院に戻されました。そのあとのかなりたってから、瀑布を刺激しないようなくらいのときを置いて、この塔が建てられたようです。実に礼儀正しい行いだと感心しています。

日源上人(にちげんしょうにん)五重塔は、高さ3.4メートル、安山岩で作られています。二重の基壇(きだん)の上に、須弥壇(しゅみだん)状の台石を置き、その上に五重の石塔を設置しています。
現在天台宗の円融寺(えんゆうじ)は、もともとは天台宗の法服寺(ほうふくじ)として創建されましたが、鎌倉時代に日蓮宗に改宗し法華寺(ほっけじ)と名を改めます。

弘安(こうあん)6年(1283年)にこの改宗を行った日源上人(にちげんしょうにん)は、正和(しょうわ)4年(1315年)に没します。

しかし、追善供養も営まれず、遺骨も祭られないままになっていたため、寛永(かんえい)13年(1636年)に供養碑を建て、さらに文化(ぶんか)11年(1814年)に整備したのが現在の石塔です。

昭和49年(1976年)、新本堂などの建築に伴い現在地に移設されました。塔の中心部地下から骨灰(こつばい)と思われるものを納めた壺や茶碗、湯呑、などが発見され、すべて現在の塔の下に納められました。

2020/05/09 (Sat) 20:39
AzTak

AzTak  

Re: 今晩は!

nagomiさん、こんばんは。

> 写真を拝見すると矢張り可成り歴史があるお寺のように思います。
> 何時もながら細かく写真を撮り分かり易く説明文を掲載しているので凄いです。
> 私には到底真似が出来ませんね。

幕府の粛清で歴史が書き換えられてしまいました。滅多にない足跡だったかもしれません。不受不施派はあまりにもラジカルに幕府批判まで展開したらしく、負ける裁きを受けるのは当然というか必然だったのかもしれません。どちらが、正しいかなどという野暮なことは言わないでおきましょう。

2020/05/09 (Sat) 20:53

ichan  

こんばんは

同じお寺でも宗派が変わり、お寺の名前まで
変わるのですね。
当時の権力者次第とは・・。
明治も同様でしたが・・・。

2020/05/09 (Sat) 21:17
AzTak

AzTak  

Re: こんばんは

ichanさん、こんばんは。

> 同じお寺でも宗派が変わり、お寺の名前まで
> 変わるのですね。
> 当時の権力者次第とは・・。
> 明治も同様でしたが・・・。


そこまでやるかという感じですが、やったんですね。まあ、明治政府も同じだったかもしれません。廃仏毀釈などという世にも愚策を断行したし、キリシタン弾圧も継承しました。数年間は継続し、大隈重信も、弾圧決定に異議を唱えなかった一人でしょう。

2020/05/09 (Sat) 23:56

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