渋谷から青山通りを、さらにその先まで歩いてみた(3) - 未分類
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渋谷から青山通りを、さらにその先まで歩いてみた(3)

私の好きなビル
骨董通りにあるなぜだか昔から好きなデザインのビル
私の好きなビル_1
向かいのビルに映った姿も美しい
私の好きなビル_2
常陸宮邸
薩摩藩の屋敷だったが、篤姫のお輿入れで徳川幕府のものとなり、新政府になってからは、常盤松御用邸として使用されていた。一時、東宮仮御所が置かれていたこともある。現在は常陸宮邸となっている。
常陸宮邸
中目黒の実相山正覚寺
元々は圓融寺の末寺だったが、圓融寺が幕府に睨まれ、天台宗への改宗を余儀なくされた。それを契機に身延山久遠寺の末寺になった。こんな大きなお寺さんを支配下に置くとは、昔の圓融寺は大した存在だったんだ。
開山宝泉院日栄、開基伊達綱村生母浅岡局。
開基浅岡局は仙台の大守伊達綱宗の側室で、姓名を三澤初子といい浄眼院と号す。
また、政岡と称し仙台萩としても知られている。4世日猷に帰依し、没後はその邸を寄付す。
日猷は京都紫竹常徳寺より来住、学徳勝れた中興の祖である。
当初は碑文谷法華寺末寺であったが、元禄4年の不受不施の禁教で廃滅し、身延末となる。
刹堂には局奉持の鬼子母神(伝教大師作)が安置されている。
祖師堂の尊像、厨子、須弥形前机は、はじめ江戸城もみじ山にあり15代将軍徳川慶喜大政奉還の時、新宿牛込常泉寺に遷座され、縁あって当山に移転したと伝えられる。
祖師像は菊紋章の袈裟をかけた坐像である。
また、伊達家から政岡の菩提寺へと贈られた豪華な襖絵があり、寺宝となっている。
また境内の鬼子母神堂は、歌舞伎先代萩の舞台にも登場して有名である。

境内に入ったすぐのところにある石碑
境内に入ったすぐのところにある石碑
山門
山門
三澤初子像…この通りだとすると相当な美人だったことになる
三澤初子
鐘楼
鐘楼
正覚寺鬼子母神堂
正覚寺鬼子母神堂
正覚寺本堂
正覚寺本堂
正覚寺国柱法窟
正覚寺国柱法窟

伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)
奈河亀輔・作。安永6年(1777年)4月、大坂・嵐七三郎座にて初演。
江戸時代初期、仙台伊達家に起こった御家騒動を劇化したものである。
伊達家三代当主・綱宗の家督相続を不服とする叔父の宗勝は、酒色によって綱宗を堕落させて隠居させ、綱宗の幼い息子亀千代が万治3年(1660年)に2歳で当主になるや、その後見人として家老の原田甲斐と共に伊達家を支配した。だが、幼君亀千代の毒殺未遂事件が起こるに及び、一門の伊達安芸等は領地境界の紛争に事寄せて宗勝等を幕府に訴えた。
寛文11年(1671年)3月27日、大老・酒井忠清の屋敷で行われた訊問の席で、形成不利と見た原田甲斐は伊達安芸を斬殺、自らも警護の侍に殺された。原田甲斐の一族は全て死罪となり、宗勝一味も処罰されて事件は幕を下ろした。女形きっての大役である乳母政岡は、亀千代の乳母もしくは生母がモデルと言われている。
AzTak
Posted by AzTak
投稿 2013年01月24日
最終更新 -0001年11月30日

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