目黒大鳥神社

日本武尊が東国の蝦夷を平定するに際し、横須賀の走水から房総の地に渡ったということは以前にブログに記した。その東京湾が荒れて日本武尊が対岸に渡ることができず困っていたときに、弟橘媛命が海が鎮まるのを願って入水した。
その横須賀に向かう前に大鳥神社に立ち寄ったということらしい。その後、日本武尊は東夷を平定したことは有名な話だ。その後、お礼に来られたようだが、社伝によれば、その後「尊の霊が当地に白鳥としてあらわれ給い、鳥明神として祀る」とあり、空海が帰朝した大同元(806)年には、社殿が造営されたそうだ。
何をもって尊の霊が目黒の地に白鳥として現れたと考えたのか、私にはまったくわからない。とにもかくにも、『鳥明神』ということになったようだ。
ここでお祈りすれば、少しは鳥運が上がり、鳥撮りが上手くいくかなあなどと考えた私は不謹慎なのだろうか?
拝殿
拝殿に掲げられる非常に目立つ一対の銅製の長提灯。そこには「江戸消防第二八區」の文字がある。これがまたわからない。28ではなく2と8のようだ。然らば、「江戸消防第二区・第八区」とは何ぞや?昭和28年11月1日、に、城南地区の旧郡部消防組五組(目黒・碑文谷・世田谷・成城・玉川)が会の趣旨に賛同、第八区として独立加盟したのだそうだ。目黒区・世田谷区の全域が受持区域になっていたそうだ。それで第八区の方は分かったが、第二区はどういうことなのだろうか?う~~ん、わからない。
賽銭箱には鳳凰が飾られてある。


石塔
かなり本来の形が分かりにくくなってしまっていた。庚申塔は区内の各所から移設されたのかな?



『神○塚』と書かれてあるようだ。真ん中の文字が読めない。悔しいなあ。

ここにある庚申塔ではこれが一番古いようだ。そういわれても、…。

一番上の字がわからない。左側は鳥の字だろうが、右側はなんだろうか?その下は、鳥と石の字が書かれてあるように見える。

気にかかっていること
緊急事態宣言が出ている中で、目黒区長選挙を強行するのだろうか?是非とも延期してほしいが間もなく公示日を迎える。

御祭神:日本武尊
相殿神:国常立尊・弟橘媛命
社格等:村社
例大祭:9月9日に近い土曜・日曜
景行天皇の御代、当所に国常立尊(くにのとこたちのみこと)を祀った社がありました。日本武尊は景行天皇の皇子であり、天皇の命令で熊襲を討ち、その後にされました。この東夷征伐の折、当社(大鳥神社)に立寄られ、東夷を平定する祈願をなされ、また部下の「目の病」の治らんことをお願いなされたところ、首尾よく東夷を平定し、部下の目の病も治って、再び剣を持って働く事ができるようになったので、手近に持って居られた十握剣を当社に献って神恩に感謝されました。この剣を天武雲剣と申し、当社の社宝となっています。
社伝によると、その後「尊の霊が当地に白鳥としてあらわれ給い、鳥明神として祀る」とあり、大同元年には、社殿が造営されました。社紋が鳳凰の紋を用いているのはこのためです。また、江戸図として最も古いとされる長禄の江戸図(室町時代)に当社は鳥明神と記載されております。尚、この江戸図に記載される社は九社しかなく、江戸九社の一つにかぞえられています。当社の酉の市の起源も古く、浅草の酉の市と並び、江戸時代に始まっています。(頒布のリーフレットより)