芝公園(ザ・プリンスパークタワー東京の敷地)~増上寺~芝大神宮~芝離宮恩賜公園(3) - 芝公園(ザ・プリンスパークタワー東京の敷地)~増上寺~芝大神宮~芝離宮恩賜公園_2019_May
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芝公園(ザ・プリンスパークタワー東京の敷地)~増上寺~芝大神宮~芝離宮恩賜公園(3)

徳川将軍家霊廟
現 徳川将軍家墓所門〔元 文昭院殿(六代目家宣公)宝塔前中門〕
現 徳川将軍家墓所門〔元 文昭院殿(六代目家宣公)宝塔前中門〕_1
現 徳川将軍家墓所門〔元 文昭院殿(六代目家宣公)宝塔前中門〕_2
現 徳川将軍家墓所門〔元 文昭院殿(六代目家宣公)宝塔前中門〕_3
現 徳川将軍家墓所門〔元 文昭院殿(六代目家宣公)宝塔前中門〕_4
現 徳川将軍家墓所門〔元 文昭院殿(六代目家宣公)宝塔前中門〕_5
現 徳川将軍家墓所門〔元 文昭院殿(六代目家宣公)宝塔前中門〕_6
現 徳川将軍家墓所門〔元 文昭院殿(六代目家宣公)宝塔前中門〕_7
第十二代家慶公(慎徳院殿)…石塔
第十二代家慶公(慎徳院殿)…石塔_1
第十二代家慶公(慎徳院殿)…石塔_2
第十二代家慶公(慎徳院殿)…石塔_3
第九代家重公(惇信院殿)…石塔
第九代家重公(惇信院殿)…石塔_1
第九代家重公(惇信院殿)…石塔_2
第九代家重公(惇信院殿)…石塔_3
第七代家継公(有章院殿)…石塔
第七代家継公(有章院殿)…石塔_1
第七代家継公(有章院殿)…石塔_2
第七代家継公(有章院殿)…石塔_3
第七代家継公(有章院殿)…石塔_4
有章院霊廟(PDF画像を借用)
有章院霊廟(PDF画像を借用)
第二代秀忠公(台徳院殿)、お江の方(崇源院殿)夫妻…石塔
秀忠公宝塔は焼失したため、正室江与殿のものを使用。お江の方の没後、崇源院霊屋が増上寺に建てられたが、秀忠の没後、崇源院は台徳院霊廟に祀られた。建物(旧崇源院霊屋)は正保4年(1647年)、鎌倉の建長寺に移築され、仏殿となった。
第二代秀忠公(台徳院殿)_お江の方(崇源院殿)夫妻…石塔_1
第二代秀忠公(台徳院殿)_お江の方(崇源院殿)夫妻…石塔_2
第二代秀忠公(台徳院殿)_お江の方(崇源院殿)夫妻…石塔_3
第六代家宣公(文昭院殿)、近衛熙子(天英院殿)夫妻…青銅製
第六代家宣公(文昭院殿)、近衛熙子(天英院殿)夫妻…青銅製_1
第六代家宣公(文昭院殿)、近衛熙子(天英院殿)夫妻…青銅製_2
第六代家宣公(文昭院殿)、近衛熙子(天英院殿)夫妻…青銅製_3
第六代家宣公(文昭院殿)、近衛熙子(天英院殿)夫妻…青銅製_4
第十四代家茂公(昭徳院殿)…石塔
第十四代家茂公(昭徳院殿)…石塔_1
第十四代家茂公(昭徳院殿)…石塔_2
第十四代御正室静寛院宮皇女和宮
第十四代御正室静寛院宮皇女和宮_1
第十四代御正室静寛院宮皇女和宮_2
合祀塔
合祀塔_1
合祀塔_2
合祀塔_3
現在の合祀塔には、家光公第三子で家宣公の実父である徳川綱重をはじめ、家光公側室で五代綱吉公の生母桂昌院、十一代家斉公正室広大院、家宣公側室月光院ら南北の御霊屋に祀られていた歴代将軍の夫人や子女の多数が埋葬されています。
なお宝塔は月光院輝子の墳墓に祀られた宝塔が使われています。


増上寺の該当ページにjump

増上寺は東京上野の東叡山寛永寺(天台宗)と共に徳川将軍家の菩提寺で、当山に埋葬されているのは、二代秀忠公・六代家宣公・七代家継公・九代家重公・十二代家慶公・十四代家茂公の6人の将軍のほか、崇源院(二代秀忠公夫人)、皇女和宮さま(十四代家茂公夫人)ら5人の正室、三代家光公側室桂昌院(五代綱吉公実母)はじめ5人の側室、及び、三代家光公第三子甲府宰相綱重公ほか歴代将軍の子女多数が埋葬されています。旧徳川将軍家霊廟は御霊屋(おたまや)ともよばれ、増上寺大殿の南北(左右)に立ち並んでいました。 墓所・本殿・拝殿を中心とした多くの施設からなり、その当時の最高の技術が駆使された厳粛かつ壮麗な霊廟は、いずれも戦前国宝に指定されていましたが、昭和20(1945)年3月10日に北廟被災、5月25日に南廟被災と二度にわたる空襲直撃でほとんどが焼失し、わずかに残った建物もその指定を解除されました。 焼失した御霊屋郡はしばらくのあいだ荒廃にまかされていましたが、昭和33(1958)年から文化財保護委員会が中心となり、詳細なる学術調査が行なわれ、のち土葬であった御遺体は桐ヶ谷にて荼毘に付され、南北に配していた墓所は一か所にまとめられ現在地に改葬されました。 調査によれば細部では各将軍若干の違いがあるものの、埋葬は、まず地中かなり深い部分に頑丈な石室を設け御遺体を安置し、二枚の巨石をふたにして、その上に基檀と宝塔は安置されていたといわれています。 墓所にある「鋳抜門」は旧国宝で、もと文昭院殿霊廟(六代将軍 徳川家宣公)の宝塔前『中門』であったものです。左右の扉に5個づつの葵紋を配し、両脇には昇り龍・下り龍が鋳抜かれています(青銅製)。規模は勿論のこと、その荘厳さにおいても、日光東照宮と並び評された往時の姿を今に伝える数少ない遺構です。
AzTak
Posted by AzTak
投稿 2019年05月16日
最終更新 2019年05月16日

10 Comments

There are no comments yet.

りおん  

すばらしく立派な門ですね~@@
こちらはお墓なのですね。
空襲に会う前までは、もっと規模の大きなものだったのですね。
国宝が解除されても、守り続けてくださる方たちがいらして
よかったですね。
PDF画像の彫り物、すごいですー@@

2019/05/16 (Thu) 07:23

x都人x  

流石に徳川家のお墓ですねー

重厚な門構えで、、葵の御紋が、、、
目に入らぬか~~って感じかな^^

2019/05/16 (Thu) 18:27

のんびり熊  

こんばんは
さすが、将軍家ですね。
熊には想像も着きません。

2019/05/16 (Thu) 19:05

ichan  

こんばんは

流石、徳川将軍家の菩提寺です。
門も立派ですが、石塔なども立派ですね。
石塔などは被災しなかったのですね。

増上寺は浄土宗で、寛永寺は天台宗、
不思議な関係に思います。

2019/05/16 (Thu) 20:51
AzTak

AzTak  

Re: タイトルなし

りおんさん、こんばんは。

> すばらしく立派な門ですね~@@
> こちらはお墓なのですね。
> 空襲に会う前までは、もっと規模の大きなものだったのですね。
> 国宝が解除されても、守り続けてくださる方たちがいらして
> よかったですね。
> PDF画像の彫り物、すごいですー@@

最初に見ていただいたザ・プリンスパークタワー東京の敷地のほぼ全てが、第2代将軍秀忠公の墓所だったようです。ものすごく巨大な墓所。秀忠公の宝塔は木製だったので空襲で焼けてしまいました。その宝塔を覆っていた絢爛豪華な霊廟も運命をともにしました。惣門だけが残ったのをはみていただいたとおりです。いまは、宝塔などがないため、お幸の方様の宝塔に仲良く入っておられるようです。
以降の将軍の墓所は、増上寺を挟んで反対側の現在のプリンスホテルの敷地にありました。それらの霊廟も、第2代将軍秀忠公の墓所ほどではないにせよ、絢爛豪華でした。拝観料を支払うと絵はがきセットと全体図とをもらえ、それを見ながら書いていますから、間違っていないものと思います。こんなに狭い空間に押し込められてしまってと思いますが、そういう感じだったようです。

2019/05/16 (Thu) 22:31
AzTak

AzTak  

Re: タイトルなし

x都人xさん、こんばんは。

> 流石に徳川家のお墓ですねー
>
> 重厚な門構えで、、葵の御紋が、、、
> 目に入らぬか~~って感じかな^^

狭い空間に押し込められてしまいましたよね。単なる藩主に過ぎなかった内藤家の鎌倉に有る墓所よりも、あるいは、豪徳寺に有る井伊家の墓所よりも、敷地的には狭い空間に押し込められてしまっています。
昔の霊廟は絢爛豪華でした。徳川将軍家の威光を示すにふさわしいものでした。その覆いなどが焼けてしまい宝塔が剥き出し状態で有るだけですから。それも、狭い空間に押し込められてしまっています。徳川幕府が倒れ、その日本という国家自体も戦争で完膚なきまでにやられた。それで、墓所だった土地が、ザ・プリンスパークタワー東京とプリンスホテルとの敷地になってしまいました。

2019/05/16 (Thu) 22:49
AzTak

AzTak  

Re: タイトルなし

> こんばんは

のんびり熊さん、こんばんは。

> さすが、将軍家ですね。
> 熊には想像も着きません。

あの宝塔くらいなら、のんびり熊さんも建てることができるのではないかと思います。むかしは、こんなものじゃない壮麗な霊廟が存在したんです。それが焼けてしまい、場所も狭いところに置き換えられ、有るというくらいしか歴史的価値はないのでしょう。

2019/05/16 (Thu) 22:54
AzTak

AzTak  

Re: こんばんは

ichanさん、こんばんは。

> 流石、徳川将軍家の菩提寺です。
> 門も立派ですが、石塔なども立派ですね。
> 石塔などは被災しなかったのですね

あれは宝塔と呼ばれ、あの下に遺骨が葬られています。それを霊廟で覆い、更に敷地を透塀で囲み、中門などを設けたのだろうと思います。一人の将軍が何百坪かの敷地だったと思います。第2代は別格で何千坪か、もしかしたら1万坪を超えた敷地だったと思います。
それが皆プリンスホテルの土地になり、宝塔のみが集約されて押し込められた。そういう感じです。
宝塔の内、第2代将軍分は木製のものであり、燃えてしまいました。

> 増上寺は浄土宗で、寛永寺は天台宗、
> 不思議な関係に思います。

両方の宗派とも、徳川の息がかかった宗教という見方もできそうですね。

2019/05/16 (Thu) 23:05

花さか爺サン  

AzTakさま こんにちは

重厚な御門に葵の御紋、流石徳川家の菩提寺ですね。
この紋所が目に入らぬかでお馴染みの水戸黄門を思い出します。

2019/05/17 (Fri) 15:22
AzTak

AzTak  

Re: タイトルなし

> AzTakさま こんにちは

花さか爺サンさま、こんばんは。

> 重厚な御門に葵の御紋、流石徳川家の菩提寺ですね。
> この紋所が目に入らぬかでお馴染みの水戸黄門を思い出します。

そうなんですが、昔はものすごく広大な敷地だったようです。二度の空襲で皆焼け落ちたようです。第2代将軍以外は、増上寺の北側、今のプリンスホテルの敷地いっぱいに広がっていました。そして、増上寺の南側のザ・プリンスパークタワー東京の敷地には第2代将軍の墓地がありました。それが皆なくなって、宝塔のみあんな狭い一角に押し込められたのですから、徳川家の子孫からすれば、どういう気持ちなんでしょうかね。

2019/05/17 (Fri) 22:29

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