日本民家園(12) - 日本民家園_2019_Mar
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日本民家園(12)

北村家住宅…国指定重要文化財
建立年次の明らかな民家としては、東日本では茨城県出島村の椎名家住宅の遠方2年(1674)に次いで古いそうだ。貞享四年(1687)の建築で、築後332年経過か。石造りだともっと古いものがざらにあるが、木造だとこんなものかもしれない。
居間に関しては、以前に広瀬家住宅を取り上げた際の土座で大変驚かれたと思うが、こちらは、竹簀子にむしろを敷いた床だ。これまたびっくり仰天してしまうものかもしれない。
HPの説明では、名主の家と書かれてあるが、教育委員会のHPでは、名主の分家と伝えられると書かれてある。本家か分家かは大きな違いだと思うが、川崎市の認識はかなりアバウトなもののようだ。

外観
しっかりつくってある家屋だと思う。外からでは竹簀子床の居間がある家だとは思いもしないことだろう。
外観_1
外観_2
外観_3
外観_4
外観_5
外観_6
家屋内部の様子
竈のすぐ後ろは、竹簀子床になっているのがよく分かるはず。だが、奥の方に目を凝らすと、床板が張ってある。なぜ、こんな面倒なことをしたのだろうか?よほど建てた当時の主婦の力が強かったのかなあ。だとすると、我が家と同じかな。
家屋内部の様子_1
家屋内部の様子_2
家屋内部の様子_3
家屋内部の様子_4
家屋内部の様子_5
家屋内部の様子_6

国指定重要文化財
旧所在地:神奈川県秦野市堀山下
建物区分:農家(名主の家)
構造形式:寄棟造、茅葺、桁行15.6m、梁行8.9m
建築年代:貞享四年(1687)、墨書
貞享四年の墨書が残る古民家
この建物で特筆されるのは、建築年代がはっきりしていることです。加えて、建築としても非常に優れており、日本で最も重要な民家の一つといえます。建築年代は、柱の先端に墨で記されていました。これを墨書といい、理兵衛という大工の棟梁(とうりょう)の名前も明らかになっています。
日常生活の場であるヒロマは、竹簀子と板の間を使い分けています。竹簀子には必要に応じてムシロを敷きました。上手のオク(正座敷)には床の間が付き、ヘヤ(寝室)は畳敷で押入も備えています。このほか、ヒロマとオクに濡縁が付くなど、同じようなつくりの旧伊藤家住宅に比べ、発達した様子を示しています。
見どころポイント!
竹簀子床には厚いムシロを敷いて生活していました。
江戸時代初期の民家としては、非常に明るく開放的な造りです。
ヒロマとダイドコロ(土間)の間の柱には、ウロコのような模様があります。これは、カンナが普及する前のチョウナという刃物で削った跡です。

AzTak
Posted by AzTak
投稿 2019年05月07日
最終更新 2019年05月07日

16 Comments

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りおん  

300年以上も残り続ける木造の家ってすごいですよね@@
それにしてもこの床の造り、不思議です。
上に乗っても折れたりしないのかしら?
板張りの場所もあるのだから、技術がなかったわけではないのですよね?
どんな理由があって、この床にしたのでしょうね~。

昨日行ったお蕎麦屋さんが古民家を手直ししたお店なのですが
サッシやキッチンなどは最近のものなので
ちょっとアンバランスさがありました。
でもこちらのお写真のような立派なお仏壇はありましたよ!

2019/05/07 (Tue) 12:18

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2019/05/07 (Tue) 12:38

徒然草  

こんにちは

なんだか「まんが日本昔ばなし」に出てくる家のようで、ちょっと嬉しい気もしますが・・・。
茅葺屋根というのはこんなに厚みがあったのですね、
まぁ家の蓑ですからこれなら雨漏りの心配はないかもしれません。

それにしましても床がずいぶん通気性が良くて夏は快適かもしれませんが、
冬季の暖房は囲炉裏だけだったのでしょうかね。

2019/05/07 (Tue) 15:43

のんびり熊  

こんばんは
柱に墨書きは珍しいでしょうね。
紙に書いて天井上の柱に張ってあるのは聞いた事が有ります。
古くなれば煤けて読めなくなるかも。
残って居ることは素晴らしいです。

2019/05/07 (Tue) 19:25

MT  

こんばんは!

むしろの下は竹なんですね。夏はとても涼しそうです。冬は違うものを敷くのでしょうか。私は冬の寒いのが苦手なのでかなり気になっています。

2019/05/07 (Tue) 20:58

ichan  

こんばんは

南方の地域で床を竹にしていた例は
見かけますが、珍しいですね。
通気性は良好でも、冬は寒そうです。
でも、何か理由があったのでしょうね。

2019/05/07 (Tue) 21:15

makira  

こんばんは!

AzTakさん、こんばんは!
簡単に築後332年経過か!と言いますが
貞享四年(1687)と言えば徳川綱吉公の時代ですよ♪
木造とのことですが、気の永くなるほどの時を耐えてきたんでしょうね♪
頑丈な立派な梁が支えてきたのでしょうね!

2019/05/07 (Tue) 22:09
AzTak

AzTak  

Re: タイトルなし

りおんさん、こんばんは。

> 300年以上も残り続ける木造の家ってすごいですよね@@

すごいと思いますが、石づくりの家屋だと当たり前の経年数かもしれません。

> それにしてもこの床の造り、不思議です。
> 上に乗っても折れたりしないのかしら?

重量級の男がその場でジャンプしたら、折れると思います。まあ、そういう荒い使い方をしなければ、十分持ちこたえることができると思います。

> 板張りの場所もあるのだから、技術がなかったわけではないのですよね?
> どんな理由があって、この床にしたのでしょうね~。

どうしてなんでしょうね。この家は秦野市にあった家屋。ジテゃもう一軒、竹簀子床の国指定重要文化財の建物が、この民家園にはあります。そちらは、川崎市麻生区にあったかおく。2つの家屋は、小田急線電車で15分位の距離でしょうかね。この地区が特に貧しい地区だったとは思えません。もしかしたら、細竹がいくらでもある土地柄だったのかな、などと勝手に思ったりしています。

> 昨日行ったお蕎麦屋さんが古民家を手直ししたお店なのですが
> サッシやキッチンなどは最近のものなので
> ちょっとアンバランスさがありました。
> でもこちらのお写真のような立派なお仏壇はありましたよ!

仏壇は、粗末に扱うとバチが当たると考える人が多く、案外残ることが多いようです。

2019/05/07 (Tue) 22:12
AzTak

AzTak  

Re: タイトルなし

Kさん、こんばんは。

素晴らしい趣味をお持ちですね。
どういうわけか親子2代、もしかしたら3代以上かもしれませんが、不器用で、頂いた立派な蜂をからしてしまう大馬鹿者です。好きで一生懸命いじっているのに、裏目裏目に出てしまった父のやり方。何をやっているんだろうと、毒づいていましたが、父以上に不器用で、困っています。
他人様の立派な蘭を見させてもらい、羨んでいるくらいが私にはお似合いのようです。

2019/05/07 (Tue) 22:17
AzTak

AzTak  

Re: こんにちは

徒然草さん、こんばんは。

> なんだか「まんが日本昔ばなし」に出てくる家のようで、ちょっと嬉しい気もしますが・・・。
> 茅葺屋根というのはこんなに厚みがあったのですね、
> まぁ家の蓑ですからこれなら雨漏りの心配はないかもしれません。

まあ、厚みはあるのかもしれませんが、山形の豪雪地帯に建っていた家屋と比べると、かなり軽くつくってある気がします。 船枻(セガイ)で、茅葺屋根をしっかり支えてあるんです。合算の麓の名だたる豪雪地帯ですから、むべなるかなかもしれませんが。

> それにしましても床がずいぶん通気性が良くて夏は快適かもしれませんが、
> 冬季の暖房は囲炉裏だけだったのでしょうかね。

あとは竈の暖気も少しはあるくらいですかね。ドテラを着て寝てしまうだけでしょう。土間で手早く行水をしたら、囲炉裏で温まり、あとは冷え込まない内に布団に潜り込むだけだったと思います。
秦野市ですから、それほど寒くも暖かくもなかったかなあ。どうなんんでしょうねえ。住んだことがないのでわかりません。

2019/05/07 (Tue) 22:34
AzTak

AzTak  

Re: タイトルなし

> こんばんは

のんびり熊さん、こんばんは。

> 柱に墨書きは珍しいでしょうね。
> 紙に書いて天井上の柱に張ってあるのは聞いた事が有ります。
> 古くなれば煤けて読めなくなるかも。
> 残って居ることは素晴らしいです。

柱枘の墨書には「貞享四年□月吉日 相州堀山下村 大工者鍛冶谷村理兵衛 平沢村源兵衛」「当村木引七兵衛」「貞享四年丁卯二月吉日 大工当流理兵衛」などがある。

ほぞの部分に残されてあったそうですよ。解体して移設したときに気付いたとかだそうです。まあ、普通は気づかないまま、壊されてしまう箇所かもしれませんね。

2019/05/07 (Tue) 22:42
AzTak

AzTak  

Re: こんばんは!

MTさん、こんばんは。

> むしろの下は竹なんですね。夏はとても涼しそうです。冬は違うものを敷くのでしょうか。私は冬の寒いのが苦手なのでかなり気になっています。

神奈川県秦野市の北村家と川崎市麻生区の伊藤家と、小田急線で15分位(?)と比較的近くにある2軒が竹簀子床なんです。川崎市教育委員会のHPには、貧乏だからただで入手できるもので賄ったとあります。
やはり冬は寒いとも書かれてあります。特に秦野市は丹沢から近く、寒さが堪えたかもしれませんね。

2019/05/07 (Tue) 22:48
AzTak

AzTak  

Re: こんばんは

ichanさん、こんばんは。

> 南方の地域で床を竹にしていた例は
> 見かけますが、珍しいですね。
> 通気性は良好でも、冬は寒そうです。
> でも、何か理由があったのでしょうね。

やはりどうみても、簡単に入手できたからというのが理由のようです。
川崎市教育委員会のHPではそう断定しているy等です。もう1軒の伊藤家住宅の記述です。

http://www.city.kawasaki.jp/880/page/0000000266.html

2019/05/07 (Tue) 22:53
AzTak

AzTak  

Re: こんばんは!

> AzTakさん、こんばんは!

makiraさん、こんばんは。

> 簡単に築後332年経過か!と言いますが
> 貞享四年(1687)と言えば徳川綱吉公の時代ですよ♪
> 木造とのことですが、気の永くなるほどの時を耐えてきたんでしょうね♪
> 頑丈な立派な梁が支えてきたのでしょうね!

そうですね。332年もの長い期間、持ちこたえてきた、そのことに驚く必要がありますよね。
しかし、冬は竹簀子床ではお腰が冷えて、腰痛持ちは大変だったことなんでしょうね。

2019/05/07 (Tue) 22:56

senri32  

この裏が私が通っていたところです。在学中は休講の時よいっていたのを覚えてます。その時は入園料を払った記憶はございません。

2019/05/08 (Wed) 20:26
AzTak

AzTak  

Re: タイトルなし

senri32さん、こんばんは。

> この裏が私が通っていたところです。在学中は休講の時よいっていたのを覚えてます。その時は入園料を払った記憶はございません。

S大学がありますよね。わずかのお金ですから、維持管理の協力する意味で払わなくっちゃ。
と言いながら、65歳以上の割引と東急のカードの割引との合わせ技で、かなり安い金額しか支払っていませんが。

2019/05/08 (Wed) 22:56

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