日本民家園(6)
外観
東側
中二階の採光のために屋根の東側を「かぶと造」としている。最後の方で取り上げる菅原家住宅でも同様のやり方をしている。


南側
とてつもなく長いというか、幅も奥行きもある。普通の縁側は親子が腰掛けている手前くらいの奥行きのはずだ。奥の方の縁側は倍以上ある。

以前に撮影した画像



南側の軒の庇部分だけ、前に見た三澤家と同じ『石置板葺』になっている。それにしてもこの縁側、相当に広い。縁側をなにかの作業場所に使用していたのだろうか?そして、一番左側(西側)には来客用の風呂場があった。風呂場といっても桶があるわけではなく、湯浴みするだけ。


こんな仕掛けで、毎日使っていたのでは、すぐに木材が腐ってしまうだろう。客用くらいでちょうどよかったのかもしれない。

家屋内部
間取り

土間から内部を覗く
この日は床上げの日ではなかったので、土間から眺めるだけ。すごい豪農の家屋だとおわかりいただけるだろうか?



中二階
上記の通り、採光のために屋根の東側を「かぶと造」としていると記した。かつては村民のための寺子屋を開いていたりしたようだ。そのため、明るくする必要があったのかもしれない。

国指定重要文化財
旧所在地:長野県南佐久郡佐久穂町畑
建物区分:農家(名主の家)
構造形式:寄棟造、一重、一部中二階、茅葺、桁行24.1m、梁行7.3m
建築年代:享保十六年(1731)、延享四年(1747)に座敷普請
建築工事の古記録が残る名主の家
この建物は名主の家で、長大で軒が高く、中二階の採光のために屋根の東側を「かぶと造」としています。こうした外観の特色のほか、普請帳や記録によって家の歴史がわかる点で重要な民家です。
まず、享保十六年(1731)の新築願から建築した年がわかり、寛保三年(1743)の普請帳から千曲川氾濫の影響によって移築されたことがわかりました。延享四年(1747)の普請帳は座敷の増築を伝えています。上手の二室(マエデノザシキとオクノザシキ)がこれにあたり、客用の便所や風呂を備えていることからも、村内で相当な地位についたことがわかります。農家ですが紺屋を営んだ時期があり、中二階は村の寺子屋としても使われていました。
見どころポイント!
入口の便所は男性の小用で、土足のまま使えるようになっていました。
風呂場は来客の行水用で、浴槽はありませんでした。