日本民家園(6) - 日本民家園_2019_Mar
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日本民家園(6)

佐々木家住宅…国指定重要文化財
外観
東側
中二階の採光のために屋根の東側を「かぶと造」としている。最後の方で取り上げる菅原家住宅でも同様のやり方をしている。
佐々木家住宅東側_1
佐々木家住宅東側_2
南側
とてつもなく長いというか、幅も奥行きもある。普通の縁側は親子が腰掛けている手前くらいの奥行きのはずだ。奥の方の縁側は倍以上ある。
佐々木家住宅南側_1
以前に撮影した画像
佐々木家住宅南側_3
佐々木家住宅南側_2
佐々木家住宅南側_4
南側の軒の庇部分だけ、前に見た三澤家と同じ『石置板葺』になっている。それにしてもこの縁側、相当に広い。縁側をなにかの作業場所に使用していたのだろうか?そして、一番左側(西側)には来客用の風呂場があった。風呂場といっても桶があるわけではなく、湯浴みするだけ。
佐々木家住宅南側_5
佐々木家住宅南側_6
こんな仕掛けで、毎日使っていたのでは、すぐに木材が腐ってしまうだろう。客用くらいでちょうどよかったのかもしれない。
佐々木家住宅南側_7
家屋内部
間取り
間取り
土間から内部を覗く
この日は床上げの日ではなかったので、土間から眺めるだけ。すごい豪農の家屋だとおわかりいただけるだろうか?
家屋内部_1
家屋内部_2
家屋内部_3
中二階
上記の通り、採光のために屋根の東側を「かぶと造」としていると記した。かつては村民のための寺子屋を開いていたりしたようだ。そのため、明るくする必要があったのかもしれない。
家屋内部_4

国指定重要文化財
旧所在地:長野県南佐久郡佐久穂町畑
建物区分:農家(名主の家)
構造形式:寄棟造、一重、一部中二階、茅葺、桁行24.1m、梁行7.3m
建築年代:享保十六年(1731)、延享四年(1747)に座敷普請
建築工事の古記録が残る名主の家
この建物は名主の家で、長大で軒が高く、中二階の採光のために屋根の東側を「かぶと造」としています。こうした外観の特色のほか、普請帳や記録によって家の歴史がわかる点で重要な民家です。
まず、享保十六年(1731)の新築願から建築した年がわかり、寛保三年(1743)の普請帳から千曲川氾濫の影響によって移築されたことがわかりました。延享四年(1747)の普請帳は座敷の増築を伝えています。上手の二室(マエデノザシキとオクノザシキ)がこれにあたり、客用の便所や風呂を備えていることからも、村内で相当な地位についたことがわかります。農家ですが紺屋を営んだ時期があり、中二階は村の寺子屋としても使われていました。
見どころポイント!
入口の便所は男性の小用で、土足のまま使えるようになっていました。
風呂場は来客の行水用で、浴槽はありませんでした。

AzTak
Posted by AzTak
投稿 2019年04月13日
最終更新 2019年04月13日

18 Comments

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2019/04/13 (Sat) 06:44

りおん  

すごい造りですね~@@広い~!!
おトイレがお外にむき出しであるのにはびっくりしましたが^^;
かぶと造り、確かにかぶとのように見えますね!
採光のための工夫されたデザイン、すばらしいです。
1731年・・・300年近くも前の建物なのですね@@
びっくり!!

2019/04/13 (Sat) 10:20

MT  

おはようございます

かぶと造りの屋根ですか、まさにです。どうやってこんな作りにくいアイディアを実現したのかと思います。出来上がればすごいの一言ですが。
また、トイレにお風呂にシンプルですね。お風呂は身体を十分に洗うことができないように思いますが、そもそも佐々木家ではお客様用に自宅用を貸し出さなかったのですね・・・。

2019/04/13 (Sat) 11:14

x都人x  

俺も田舎育ちですが、、トイレは
母屋ではなく別棟でした(笑

外で何もないのは凄いよね^^

2019/04/13 (Sat) 17:59

徒然草  

こんばんは

私の子供の頃の頼りない記憶の中にも、
トイレは家とは離れてあった家庭も少なからずあったような・・・。

時代の進歩は目覚ましく、私の環境では冬の暖房は囲炉裏もなく火鉢だけでしたし、、、
夏にもなれば、今の時代には扇風機どころかエアコンがあたりまえですよってね。
それにお風呂やトイレも激変しました。生活文化の革命ですな。

しかしまぁ、それ以外というのでしょうか、
古民家を見せていただきますと、
今の気密性の高い住宅より、古民家の生活環境が良さげにさえ見えてくる部分がありますわ。

2019/04/13 (Sat) 18:28

のんびり熊  

こんばんは
軒先に行儀よくぶら下がっているモノはナアニ?
変に気になっちゃった。

2019/04/13 (Sat) 21:11

ichan  

こんばんは

兜造りの屋根が威風堂々としています。
お膳の数や間取りを見る限りでは、使用人を
抱えていた感じがします。
屋内の土壁は日本の気候に合わせて調湿作用等
の機能を期待できますが、それなりの財力が
無いと維持が困難そうです。

2019/04/13 (Sat) 21:42

makira  

こんばんは!

AzTakさん、こんばんは!
家屋の広さや間取りの多さ、
お膳の数に名主の家だけのことはありますが
確かに凄いですね!
大八車や吊し柿に懐かしさと郷愁を覚えます♪

2019/04/13 (Sat) 23:19
AzTak

AzTak  

Re: おはようございます!

Kさん、こんばんは。

昨日は重要な会議をしていて、つつがなく終了してホッとしたら、くしゃみが止まらず。強烈な鼻風邪にかかりました。それでも今日は懲りずに航空自衛隊熊谷基地の桜祭りに行ってきました。
航過飛行は1機のみで、それもピン甘の写真しか撮れず、やや項垂れて帰ってきました。

K区のM公園ですか。居るのかもしれませんね。あまりにも広い公園で、夏の暑い盛りに行き、行き倒れになりかかりました。
無駄に歩かずに済むように、ちょっと調べてから行こうかと思います。

2019/04/14 (Sun) 21:09
AzTak

AzTak  

Re: タイトルなし

りおんさん、こんばんは。カメさんレスになってしまいました。

> すごい造りですね~@@広い~!!

もともと広かった家屋をさらに増築したそうで、その記録が残っているのが貴重なんだそうです。なにせ、江戸時代の文書ですから。

> おトイレがお外にむき出しであるのにはびっくりしましたが^^;

さすがの私でも、ここでしなさいと言われたら、どうにも困ってしまうでしょう。ですが、カントリーサイドに住んでいた頃は平気の平左。辺り構わずしていました。

> かぶと造り、確かにかぶとのように見えますね!
> 採光のための工夫されたデザイン、すばらしいです。

あの兜造りの部分、私もすごく気に入っています。そうした理由が地元の子供達のための寺子屋の明かり取りというのですから、頭が下がります。

> 1731年・・・300年近くも前の建物なのですね@@
> びっくり!!

しっかり作れば、木造の家屋でも300年を保たせる事ができるんでしょうね。う~~ん。

2019/04/14 (Sun) 21:18
AzTak

AzTak  

Re: おはようございます

MTさん、こんばんは。

> かぶと造りの屋根ですか、まさにです。どうやってこんな作りにくいアイディアを実現したのかと思います。出来上がればすごいの一言ですが。

この民家園には他にももう一軒、兜造りの家屋があります。誰が最初に考え出したのか、それが遠く離れた地区にどのように伝播したのか、興味が尽きないことですね。

> また、トイレにお風呂にシンプルですね。お風呂は身体を十分に洗うことができないように思いますが、そもそも佐々木家ではお客様用に自宅用を貸し出さなかったのですね・・・。

多分、自宅用の風呂などこの時代には農家にはなかったと思います。内風呂がつくられるようになったのは、何と昭和になってからです。都会だと銭湯に行くことができたかもしれませんが、地方だと行水だったのではないでしょうか。
なので、客用の風呂場があるのは、最上級のもてなしだったと思います。

2019/04/14 (Sun) 21:26
AzTak

AzTak  

Re: タイトルなし

x都人xさん、こんばんは。

> 俺も田舎育ちですが、、トイレは
> 母屋ではなく別棟でした(笑
>
> 外で何もないのは凄いよね^^

昔は水洗トイレなどという便利なものはなく、できる限り母屋からはなしておきたい思惑があったのでしょうね。
この家屋があった近くにかつても勤め先の保養所がありましたが、ものすごく寒いところです。外便所の飲み屋がかつての新橋には多かったんです。そこで、何を出した途端に脳溢血でお亡くなりになる方が居たそうです。都心の中の都心の新橋で、そういう退場に仕方はしたくないものですね。
ですが、囲炉裏に当たれば、いつの間にか体も心もほわ~~んチョしてきたのかもしれませんね。

2019/04/14 (Sun) 21:33
AzTak

AzTak  

Re: こんばんは

徒然草さん、こんばんは。

> 私の子供の頃の頼りない記憶の中にも、
> トイレは家とは離れてあった家庭も少なからずあったような・・・。

汲み取り式のトイレだと、臭いですからね。母屋とはなしておきたかったのかもしれませんよね。

> 時代の進歩は目覚ましく、私の環境では冬の暖房は囲炉裏もなく火鉢だけでしたし、、、
> 夏にもなれば、今の時代には扇風機どころかエアコンがあたりまえですよってね。
> それにお風呂やトイレも激変しました。生活文化の革命ですな。

まあ、楽になりましたね。

> しかしまぁ、それ以外というのでしょうか、
> 古民家を見せていただきますと、
> 今の気密性の高い住宅より、古民家の生活環境が良さげにさえ見えてくる部分がありますわ。

そうですね。ここは上等な古民家ですから。この先、竹簀の上に茣蓙を敷いた家、土の上に茣蓙を敷いた家などが出てきます。そういうところでも300年位保っているものがあります。それなりに気合を入れて建てたのでしょうね。

2019/04/14 (Sun) 21:39
AzTak

AzTak  

Re: タイトルなし

> こんばんは

のんびり熊さん、こんばんは。

> 軒先に行儀よくぶら下がっているモノはナアニ?
> 変に気になっちゃった。

ちょっと気の利いた写真が撮れなかったので、このカットは以前のものを使用しました。剥いたばかりの柿です。
色がおかしくてごめんなさいね。

2019/04/14 (Sun) 21:42
AzTak

AzTak  

Re: こんばんは

ichanさん、こんばんは。

> 兜造りの屋根が威風堂々としています。

後ほど、もう一軒、兜造りの家屋が出てきます。見比べてみてください。

> お膳の数や間取りを見る限りでは、使用人を
> 抱えていた感じがします。

居たのかもしれませんね。そのへんは考えてみたら面白いテーマかも知れませんね。

> 屋内の土壁は日本の気候に合わせて調湿作用等
> の機能を期待できますが、それなりの財力が
> 無いと維持が困難そうです。

まあ、そうなんでしょうね。しかし佐久穂町の名主といっても冷涼の地で収穫はそれほどあったとは思えず、それほどは裕福ではなかったかもしれません。それでも頑張ったのでしょう。篤農だったのかもしれませんね。

2019/04/14 (Sun) 21:55
AzTak

AzTak  

Re: こんばんは!

> AzTakさん、こんばんは!

makiraさん、こんばんは。

> 家屋の広さや間取りの多さ、
> お膳の数に名主の家だけのことはありますが
> 確かに凄いですね!

本当にそうですね。

> 大八車や吊し柿に懐かしさと郷愁を覚えます♪

大八車は見たことがなかったです。多分、純農村ではなく、漁業で開けた新開地だったかななんでしょう。
干し柿や干し芋は楽しみでした。渋柿が何故甘い柿に変わるのかとても興味がありました。そういう疑問を持ち続ければ、今頃ちょっとした学者になっていたかもしれませんが、飽きっぽい性格が災いしました。

2019/04/14 (Sun) 22:01

鏡花水月  

AzTak様、こんばんは!
兜作り面白いですね。
手持ちの画像にも佐々木家ありましたが全然覚えていませんでした。
採光の意味などを類推しながら見ていると忘れないのだと思います。
民家園は件数が多くて途中で集中力が途切れてしまったので、ちょうど倦怠期に通過したのだと思います(^_^;)

父方の実家が東北の農家なのですが、建て替える前の50年くらい前のモノクロ写真を見ると縁側がこのくらいの幅は優にあるように思います。
豪農ではありませんが親戚一門の本家でした。
広さは親戚が集まる集会所的な側面もあったようです。
本家は幹事的な役割が多い割に実入りがなくて、伯母はいつもやり繰りに苦労していたようでした。

2019/04/15 (Mon) 23:38
AzTak

AzTak  

Re: タイトルなし

> AzTak様、こんばんは!

鏡花水月さん、こんばんは。

> 兜作り面白いですね。
> 手持ちの画像にも佐々木家ありましたが全然覚えていませんでした。
> 採光の意味などを類推しながら見ていると忘れないのだと思います。
> 民家園は件数が多くて途中で集中力が途切れてしまったので、ちょうど倦怠期に通過したのだと思います(^_^;)

佐々木家と江向家と国指定の重文の家屋がどどっと登場しますから、直前の佐々木家の妻側がどうだったかなど、記憶の彼方にいってしまうのは当然だと思います。極めて自然な関心の向き方だと思います。

> 父方の実家が東北の農家なのですが、建て替える前の50年くらい前のモノクロ写真を見ると縁側がこのくらいの幅は優にあるように思います。

それはすごかったですね。こんなに広くして何に使ったのかと思いました。
山菜を茹でて乾燥させるとか、しいたけを干すとか、ほしいもを作るとか、…みな食べ物の連想しかできません。(^_^;)

> 豪農ではありませんが親戚一門の本家でした。
> 広さは親戚が集まる集会所的な側面もあったようです。
> 本家は幹事的な役割が多い割に実入りがなくて、伯母はいつもやり繰りに苦労していたようでした。

跡継ぎの家に嫁入りすると大変だったのでしょうね。そんなことに思いが至らず、父の実家に遊びに行くのが、とても楽しみでした。

2019/04/16 (Tue) 20:46

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