バス1泊旅行〔金沢~白川郷~高山〕(3)
兼六園(2)
成巽閣と赤門
成巽閣(せいそんかく)は兼六園に隣接しているが、厳密には兼六園の一部という訳ではない。兼六園側の入り口は裏口になるようだ。行った日は水曜日であいにくの定休日。敷地に入ることがかなわなかった。


こちらにも赤門がある。奥御殿ではなかったと思うので、本当は赤門にしてはいけないのかもしれないが、浅学菲才の私には、詳しい事情は分からない。東大の赤門が有名だが、加賀藩前田家の江戸藩邸上屋敷の御守殿門として建てられたもの。御守殿とは、江戸時代において三位以上の大名に嫁いだ徳川将軍家の姫君の敬称であり、その元姫君が住む奥御殿のことで、その門なので、御守殿門と呼ばれた。御守殿門は丹塗りだったために外観が赤く、そのため「赤門」と呼ばれた。文政10(1827)年、第12代藩主(加賀前田家13代)前田斉泰が11代将軍徳川家斉の21女・溶姫(やすひめ)を妻として迎えた際に建設された。



太鼓気味になっている橋の上から見ようと思ったが、樹木以外は見えなかった。残念。

以下3点の画像はPDF画像を借用
成巽閣玄関

飛鶴庭

赤門の内側

成巽閣(せいそんかく)とは、文久3年(1863年)に加賀藩12代藩主・前田斉泰が母・真龍院(11代斉広夫人)の隠居所として建てた歴史的建造物である。歴史博物館として一般公開されている。兼六園に隣接する。
紅葉の具合
京都の庭園と違い、楓で埋め尽くされているわけではないようだ。紅葉はまずまずという感じだった。








時雨亭と長谷池
時間がなくて、内部見学には至らなかった。かなり悔しいが仕方がない。




5代藩主・綱紀が兼六園を作庭した頃からあった建物で、廃藩の後、惜しくも撤去されてしまった時雨亭。それを、平成12年、新しい庭園の完成とともに復元したものです。亭内での抹茶・煎茶の呈茶(有料)、見学もできます。
辰巳用水
ここは暗渠ではなくなっている。最高地点まで水を運んだのだから当然なのだろう。

明治紀念之標
ここだけは、明治のものか。ちょっとだけ、浮き上がった感じがするのは否めない。それはさておき、日本で最初に建てられた銅像なのか。知らなかった。日本武尊はちょっとメタボ体型だったのかなあ。




中央に日本武尊像を、左に石川県戦士尽忠碑を据える明治紀念之標は、西南戦争で戦死した郷土軍人の霊を慰めるものです。銅像の身長は5.5m、明治13年(1880)日本で最初に建てられた銅像といわれている。両脇に植えられた赤松は「手向松(たむけまつ)」と呼ばれ、当時、京都の東西両本願寺の門跡から移されたものです。
最後に雪吊り
本当は兼六園を退出する間際に見たのだが、編集の都合上、ここで取り上げる。


次回と次々回とは、瓢池と夕顔亭とを取り上げます。