京都と大阪とへの小旅行(23)
慶沢園
慶沢園も隣接する旧本邸敷地(現・大阪市立美術館)も茶臼山も、住友家の所有だったのか。財閥家の底知れぬ懐の大きさを実感させられる。これらが、そっくり大阪市へ寄贈されたのか。そのように聞いてはいたが、改めて、気宇壮大な話に驚かされた。
旧黒田藩蔵屋敷長屋門
これをまず潜る。現在の中之島にあった江戸時代の黒田藩蔵屋敷の表門で、大阪府の有形文化財。


旧黒田藩(福岡藩)蔵屋敷の表門は、江戸時代中期の蔵屋敷の遺構をもつ数少ないもののひとつで、現在の中之島三井ビル付近にあった。昭和8年(1933)、同ビル建設に際し三井社から大阪市に寄贈、現在は天王寺公園内、大阪市立美術館南側に保存されている(大阪府有形文化財)。
長屋門を潜った先
正面には大阪市立美術館が見える。目指す慶沢園は右側になる。

慶沢園入り口
大庭園の入り口としては、拍子抜けするほど簡素なたたずまい。この南門から入る。


園内の様子
園内は、四阿、石橋や飛び石、滝など見どころがたっぷりあった。だが、私の体調がすぐれず、園内の木陰で休むばかり。最小限の写真を撮っただけで、辞去することにした。













旧藤田家正門
旧藤田家は住友家の分家だそうで、その正門が残されている。慶沢園の北部には茶臼山や河底池に通じる出口専用の門として使用されている。

慶沢園
元は住友家の茶臼山本邸庭園として、1918年(大正7年)に完成した。1908年(明治41年)に木津聿斎の設計、小川治兵衛の作庭により造園が開始されて以来、完成までに10年を費やしている。大小3つの島が浮かぶ池の周囲の林間を回遊し鑑賞する様式(林泉回遊式)で、全国から名石・名木を集めた広大な庭園となっている。
1921年(大正10年)に住友家が大阪市に寄付を打診。1925年(大正14年)に住友家本邸が神戸に移転したことで、隣接する旧本邸敷地(現・大阪市立美術館)、茶臼山とともに寄贈された。
現在は、1936年(昭和11年)に開館した歴史主義建築の大阪市立美術館とともに天王寺公園の中に組み込まれ、一般公開されている。