祐天寺(2) - 未分類
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祐天寺(2)

本堂
『新編武蔵風土記稿』によれば、本堂に祀られているのは祐天大僧正の木像。
本堂_1
本堂_2
本堂_3
本堂_4
本堂_5
本堂_6
本堂_7
本堂_8
本堂_9
本堂_10
本堂_11
本堂_12
本堂_13
仏舎利殿と大絵馬『祐天上人かさね済度』
『新編武蔵風土記稿』に記載なし。ピッカピカの新しい建物だ。
仏舎利殿と大絵馬『祐天上人かさね済度』_1
仏舎利殿と大絵馬『祐天上人かさね済度』_2
仏舎利殿と大絵馬『祐天上人かさね済度』_3
書院
『新編武蔵風土記稿』に『客殿』と記載されているものだろうか?この建物は仏舎利殿と同様に明らかに新しい建物だ。
書院
梵鐘と鐘楼
六代将軍家宣夫人天英院が寄進した。
梵鐘と鐘楼_1
梵鐘と鐘楼_2
累塚
祐天上人は、『祐天上人かさね済度』の大絵馬に描かれたような累(かさね)一族の怨霊を化益した事蹟があり、歌舞伎でも取り上げられた。そのかさね一族を鎮魂する塚
累塚
祐天上人墓
背景が殺風景だ。目隠しに樹木でも植えたらどうかと思うが。
祐天上人墓_1
祐天上人墓_2
祐天上人墓_3
祐天上人墓_4
祐天上人墓_5
江戸消防記念碑
祐天上人は、増上寺内に「増上寺消防制」を創設し、学生を「いろは四十八文字」に分け、寺内消防防火体制を整えている。この制度が高く評価され、後に町奉行大岡越前守忠相がこの制度を参考にし「江戸町火消し」を確立させた。祐天上人は「江戸町火消し」の開祖と言うべき存在だったようだ。
そういうことと関連があるのか、その種の奉納物が目に付く。
江戸消防記念碑_1
江戸消防記念碑_2
AzTak
Posted by AzTak
投稿 2012年11月21日
最終更新 -0001年11月30日

8 Comments

There are no comments yet.

solo  

AzTakさん
おはようございます。

今日はお江戸 町火消しの成り立ちについてのご講和
ありがとうございます。
流石!AzTakお上人様
「ありがたや ありがたや」

>そのかさね一族を鎮魂する塚
そのかさね一族すら知りませんでした。
隠密剣士が闘った一族かと思いました。

いい年こいて 恥ずかしい限りです。
まっとうな人間にAzTakお上人様のお力で
お導き下さいませ。



2012/11/21 (Wed) 06:33

AzTak  

Re: タイトルなし

> AzTakさん
> おはようございます。

soloさん、おはようございます。

> 今日はお江戸 町火消しの成り立ちについてのご講話
> ありがとうございます。

祐天上人は知恵の回る方だったようですね。下の話のような豪胆な面もあり、当時の傑出した僧侶だったことは間違いがないようです。

> >そのかさね一族を鎮魂する塚
> そのかさね一族すら知りませんでした。
> 隠密剣士が闘った一族かと思いました。

まあ、歌舞伎の題材になりそうな話ですよね。卒塔婆にも『為累一族…』と書いてあるのが読めますが、演劇関係者の参拝が多いようです。きちんとしておかないと、役者さんも気分が良くないくらいの強い強い怨念があるのでしょうか。
承応・寛文(1652~1673)ごろ、下総(しもうさ)の羽生(はにゅう)村にいたという醜女(しこめ)。夫与右衛門に殺され、その怨念は一族にたたったという。歌舞伎や浄瑠璃に脚色され、近世演劇に累物(かさねもの)という一系統を形成している。

2012/11/21 (Wed) 07:52

Roman  

祐天寺はずいぶん立派なお寺ですね。
東横線に乗っていた頃には寺もあまり興味はなく駅名しか知りませんでした。
昨日の写真にあった門も立派なので驚きました。
通りに面した門は多分後から建てた高麗門でしょうか。
その中の仁王門は立派ですが、昔は茅葺き屋根だったのでしょうね。
今の屋根は少し物足りないですね。
いわき市四倉の出身僧侶ですか。
原発にも近く、現在もなかなかこの先には行けなくなってしまいましたね。
悔しく残念です。

2012/11/21 (Wed) 07:59

AzTak  

Re: タイトルなし

Romanさん、おはようございます。

> 祐天寺はずいぶん立派なお寺ですね。
> 東横線に乗っていた頃には寺もあまり興味はなく駅名しか知りませんでした。
> 昨日の写真にあった門も立派なので驚きました。
> 通りに面した門は多分後から建てた高麗門でしょうか。
> その中の仁王門は立派ですが、昔は茅葺き屋根だったのでしょうね。
> 今の屋根は少し物足りないですね。

昔は茅葺きだったのか、あるいは、柿葺だったのか、元々銅屋根だったのか私にはわかりません。目黒村だったので、茅などはいくらでも入手できたと思いますが。
本門寺は空襲で丸焼けになったというのに、それほど離れていない祐天寺は空襲を免れたんですね。貴重な江戸の建造物のように思えます。でも、いまのところ建物で国指定の重文以上のものはなく、認定に携わる人達には文化財的には大した価値を有していないという認識なんでしょうかね。

> いわき市四倉の出身僧侶ですか。
> 原発にも近く、現在もなかなかこの先には行けなくなってしまいましたね。
> 悔しく残念です。

そうですね。親戚が双葉にも相馬にもたくさんいて、相馬にはいわきから遠回りしなければいけないのが辛いです。双葉には行きたくともいけません。農水産物は売れず、大変な思いをしている人が少なくありません。自分たちは関わりたくない、放射能関連は嫌だ、というエゴが嫌で嫌で堪りません。

祐天上人は勿論、江戸まで歩いて行ったのでしょう。少年に見には辛い心細い道中だったのかと思います。
後世の星一(星新一の父で、星製薬や星薬科大学を創立した)は、水戸まで歩いて、そこから常磐線に乗って行ったようです。
随分、昔の田舎の話をしてしまいました。

2012/11/21 (Wed) 10:33

makira  

こんにちは!

AzTakさん、こんにちは!
ホントに立派な寺院なんですね!
祐天大僧正と言う方もいらして
その木像が安置されているとは・・・
「江戸町火消し」いろは組の開祖とは知りませんでした 汗)
会社から一駅、是非行きたくなりました♪

2012/11/21 (Wed) 15:26

AzTak  

Re: こんにちは!

> AzTakさん、こんにちは!

makiraさん、こんにちは。

> ホントに立派な寺院なんですね!
> 祐天大僧正と言う方もいらして
> その木像が安置されているとは・・・
> 「江戸町火消し」いろは組の開祖とは知りませんでした 汗)
> 会社から一駅、是非行きたくなりました♪

開祖というわけではなく、増上寺の住持だった時に、ほとんど同じような組織を作ったようです。それで、実際に失火など起こさなかった。それを凄いと認めて、吉宗が…ということのようですよ。

声明が聞こえてくるようなお寺さんだといのですが、行く時間が良くないのか、よくわかりません。

2012/11/21 (Wed) 15:43

君平  

こんにちは。
完全なノーボディですねえ。
人がこれだけ居ないのは、時期が悪いのか、時間帯が
特別なのか。。。或いは滅多に人が来ないのか。。。
色々と考えてしまいますね。
こうして、お写真でご紹介頂くと、結構境内って広いの?
って思っちゃいますね。
写真で見るのと、百聞とどっちが上なんでしょうね(笑

2012/11/21 (Wed) 22:26

AzTak  

Re: タイトルなし

> こんにちは。

君平さん、こんばんは。

> 完全なノーボディですねえ。
> 人がこれだけ居ないのは、時期が悪いのか、時間帯が
> 特別なのか。。。或いは滅多に人が来ないのか。。。
> 色々と考えてしまいますね。

20分くらいの間に10人くらいの方がお祈りしていました。
平日の昼下がりに、観光コースに組み入れられているわけではない寺院としては、まずまずなのでは。
ちょっと待てば、人が入らない写真を撮れるくらいではありました。
祐天寺は割と宗教を広めようとする努力を重ねているようで、以前にきた時に色々な案内がいくつも掲げられているのに驚いたことがあります。
京都の有名寺院のように庭園がまずありきではありません。東京の寺院には庭園という感じのものは殆ど無いに等しい感じです。だからといって、宗教性が薄いとは思いません。

私は、個人的には人がいっぱい来ている寺院は好きではありません。

> こうして、お写真でご紹介頂くと、結構境内って広いの?
> って思っちゃいますね。
> 写真で見るのと、百聞とどっちが上なんでしょうね(笑

狭くも広くもない感じです。もともと、増上寺の末寺だったところを、祐天上人の隠居用に購入して開山したので、広くはなかったんだと思います。googleの航空写真から判断すると、4~5千坪くらいでしょうか。向かいにある都立高校の3倍くらいだと見ました。

2012/11/21 (Wed) 23:32

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