京都と大阪とへの小旅行(6)
今回分では、山六~八番で全体の十~十二番目になる太子山、伯牙山、芦刈山を取り上げる。その直後には、月鉾が迫ってきていた。

太子山(たいしやま)
聖徳太子を祀る山。他の山と違って真木に松ではなく杉を立てている。そして、そこに小さな如意輪観音像を奉戴している。確かに遠めからもそのように見えた。なので、近づいてきたらしっかり見ようと思ったのに、無粋な男たちが入ってきて、何やら調整を始めた。その間、如意輪観音像が外されてしまった。その調整が続くうちに目の前を通過していった。そういう調整は事前に念入りに行うべきで、本番で行うなんて最低の運用だ。
元画像を拡大してみると、太子像の顔面は能面を被ったかのような感じだった。それにしても、少年像だというのに、あまりのおじさん面で、お札の肖像画にもあまり似ていなかった。
2日目に天王寺地区をほっつき歩き、四天王寺のすぐ近くにいることを承知していたにもかかわらず、熱中症になりかかり、無念のパスをせざるを得なかった。今回は、聖徳太子とは縁が薄かった。宵山に行って、「知恵のお守り」を求めるんだった。



無粋な男たちが入ってきて、何やら調整を始めた。その間、如意輪観音像が外されてしまった。『そりゃ、無いぜ!!』










聖徳太子を祀るのでこの名がある。聖徳太子が四天王寺建立にあたり、自ら山中に入って良材を求めたという所伝にもとづき、他の山がいずれも松を立てているのに対してこの山のみは真木に杉を立て、その樹に小さな如意輪観音像を奉戴している。太子は少年像で右手に斧、左手に衵扇を持つ。前懸は緋羅紗地に阿房宮の刺繍、胴懸は金地孔雀唐草図のインド刺繍、見送は平成15年新調の波濤に飛龍文様錦織を用いる。角金具には立派な飛龍が飾られ、水引には濃紺の房付き網目のものが用いられ胴懸とともにエキゾチックな気分を加えている。宵山には聖徳太子にちなんで知恵がさずかるという「杉守り」「知恵のお守り」が授与される。この山には舞台裏中釣幕という懸装品があり、平成19年に新調されている。
伯牙山(はくがやま)
新幹線の車中で鉈を振るうような凶悪な事件が発生したばかり。山の故事謂れを知らない身には、『いったいこれは何なんだ』と首をかしげたくなるテーマに思えた。本当のところは、親友同士の思いの深さを表現したのかなあ。
破壊シーンを題材にするのは、…。朴念仁の私にはどうにも合点がいかないものだった。






「琴破山」ともいわれる。山の御神体(人形)は中国の周時代、琴の名人伯牙とその友人鍾子期との物語に取材、伯牙が鍾子期の死を聞いてその琴の絃を断ったという故事をあらわしている。人形は手に斧を持ち前に琴が置かれている。人形には「金勝亭賽偃子」の墨書銘があり、天明以降の作と考えられている。前懸には上下詩文、中央に人物風景の有名な「慶寿裂」をかけその下に龍文様の錦を用い、さらに人物図の押絵切付の水引によって飾っている。胴懸は花卉尾長鳥文様の綴錦で、見送には「柳絲軒」在銘の仙人図刺繍を用いている。蝶型の角金具は珍しい意匠である。
芦刈山(あしかりやま)
謡曲「芦刈」に基づくのか。中国の題材からテーマを得るばかりでなく、日本文化にどっぷり根ざした山のテーマも面白いかな。
私にはしっくりくるテーマだった。前懸は山口華楊画伯原画の段通「凝視」か。史実的な絵柄も面白い。




背後に迫られれば、当然だが気になるはずだ

謡曲「芦刈」に基づく。故あって妻と離れて難波の浦で芦を刈る老翁が、やがて妻との再会をはたす夫婦和合の姿をあらわす。御神体(人形)の旧御頭は天文6年(1537)七条仏師運慶の流れをくむ康運作。天正17年(1589)銘をもつ重要文化財指定の「綾地締切蝶牡丹文片身替小袖」は山鉾最古の衣装。現在の前懸と見送は山口華楊原画の段通「凝視」(1986)と綴織「鶴図」(1985)、胴懸は尾形光琳原画の「燕子花図」(1994)。欄縁の彫金飛雁の錺金具は明治36年(1903)川辺華挙の下絵で藤原観教作。旧胴懸の「鶴亀蜀紅文絲錦裂」(江戸時代)をはじめ、「獅子蜀紅文繻珍小袖」(江戸時代)、古い見送など貴重な染織品を多く残している。