京都と大阪とへの小旅行(5)
今回は全体の八~九番目での巡行の白楽天山と鶏鉾を取り上げる。また、最初に印象的なものを少しだけ見ておくことにする。
鶏が平和の象徴なのかなあ。逞しい生き物だから、騒乱の最中でも生きているように思うのだが。

天下の白楽天といえども、教えを乞う時は、こういう風に振舞ったものなのかな。また、余計なものが画面に入り込んでしまったが、後続の鶏鉾の突き出している部分の傾きが非常に気になる。

白楽天山(はくらくてんやま)
山五番、全体の八番目での巡行。唐の詩人白楽天が道林禅師に仏法の大意を問うシーンがテーマか。中国は、禅僧も偉そうに振舞うお国柄なのかなあ。日本ではあまり考えられない絵柄のように思った。真剣に見入ったが、強い日差しで十分には見えなかった。










唐の詩人白楽天が道林禅師に仏法の大意を問うところである。道林禅師は、緞子地の紫衣を着け、藍色羅紗の帽子をかぶり手に数珠と払子を持ち松の枝の上に座し、白楽天は唐織白地狩衣の衣裳に唐冠をかぶり笏を持って立っている。旧水引は明治5年の調製で孔雀や麒麟などの禽獣を金絲で繍いつめた刺繍、また前懸は文化5年新調された紺地雲龍文様刺繍裂と、万延元年(1860)蟷螂山より買受けた毛綴の三点継もある。毛綴はトロイ城陥落のときアイネイアスが父を救出する図の優品であり、大津祭月宮殿山の見送と双幅である。見送はかつて麒麟龍鳳凰文様の綴錦であったが、昭和28年より山鹿清華作の北京万寿山図の毛織錦のものを用いている。また胴懸及び水引は昭和53年フランスから購入した17世紀製作の毛綴もある。
鶏鉾(にわとりほこ)
くじとらずの鉾のほかにくじを引く鉾が、前祭の場合、鶏鉾、菊水鉾、月鉾の3基がある。鉾一番が全体の9番目、鉾二番が全体の十三番目、鉾三番が全体の十五番目ということになっている。今年は、鉾一番で全体の9番目の籤を鶏鉾が引いた。
屋根の上に突き出ている部分が傾いているのが気になって仕方がなかった。関係者も気がついてはいたと思うが、もう修正するだけの時間がなかったのだろう。

白楽天山の最後尾の人たちも、羨ましそうな感じで見入っていた。さっさと先に行かないと邪魔になるぞ。









だいぶ近づいてきたぞ。肉眼でもよく見える。














人形はいかにも優美な京人形という感じ。音頭取りの2人が使う扇子が非常に粋なものだった。


また、動き出した





見送は、トロイの皇子へクトールが妻子に別れをつげる図だそうだ。国の重要文化財なのか。



中国の史話より取材、昔、唐堯の時代に天下がよく治まり訴訟用の太鼓(諫鼓)も用がなく苔が生え鶏が宿ったという故事によって、その心をうつしたものという。鉾頭の三角形の中の円形は鶏卵が諫鼓の中にある意味で、鶏鉾の名の象徴となっているともいわれるが、はっきりしたことは不明である。真木のなかほどの「天王座」には航海の神といわれる住吉明神を祀る。天水引は下河辺玉鉉、下水引は松村呉春(1752~1811)、松村景文(1779~1843)など四条派画家の下絵になるものである。前懸のペルシャ絨毯、胴懸の草花文様インド絨毯は、近年復元新調されて用いる。見送は有名な毛綴で近年の調査によるとトロイの皇子へクトールが妻子に別れをつげる図であるという。この見送は、16世紀頃ベルギーで製作、江戸時代初期に輸入されたものと考えられ、国の重要文化財に指定されている。
北神奈川大会準々決勝(7月24日)
夏の大会に調子のピークを持ってくるのが大変なようだ。ヘロヘロ勝ちばかりの母校はともかくとして、東海大相模と桐光学園とがやや調子を落としているのが意外。もしかしたら、漁夫の利で母校が代表校になる可能性も出てきたかも。
慶應義塾(1st S)vs桐蔭学園(No S) 6:4
母校はいつものことだが、辛勝だった。
東海大相模(1st S)vs県立相模原(No S) 9X:8
1回表の5失点(得点)にはびっくり。その後一旦は同点に追いつくも、ロングリリーフのエース斎藤が7回に3点を取られ、KOされた。そのまま行くかと思われたが、さすがは第1シード校。最終回に2点差を跳ね返しての逆転勝ち。
桐光学園(1st S)vs弥栄高校(No S) 10:7
予想外の接戦。あわやのところまで桐光が追い込まれた。
県立白山(2nd S)vs横浜商大高(1st S) 1:2X
あと一歩まで有利に試合を進めていた白山だったが、拙攻がたたった。最後は投手力の差が出てしまった。
準決勝は、27日金曜日に、慶應義塾(1st S)vs東海大相模(1st S)、桐光学園(1st S)vs横浜商大高(1st S)の対戦ということになった。第1シードがすべて勝ち残ったので、順当といえば順当かもしれない。