旧東海道品川宿近辺を歩いた(5)
建物が印象に残った。ただそれだけ。2トーンといえばそうなのだが。


長徳寺
以前の回で、北品川の善福寺を見たが、同じ時宗の南品川の寺院。南品川にはほかに海蔵寺もある。さして広くないエリアに時宗寺院が3箇寺も存在したんだ。何か理由があったのだと思うが、私には把握できなかった。
時宗そのものも、総本山が遊行寺だとは知っているが、2年ほど藤沢市で勤務していた折にも行ったことがなかった。箱根駅伝で名前を聞くばかり。あまり縁がない宗派になってしまった。
古くからの変哲もないごく普通のお寺さんらしいお寺さんという印象だった。だが、歴とした御朱印寺。御朱印寺であったばかりに歴史に翻弄されたかなあ。








長徳寺は、三寮覺阿弥陀佛が開山となり現東海寺の地に寛正4年(1463)創建、東海寺建立に伴い当地へ移転したといいます。江戸時代には下蛇窪(品川区二葉附近)に寺領5石の御朱印状を与えられた御朱印寺でした。当寺の閻魔堂は、南品川にあった東光寺という時宗寺院があったものの、大龍寺に譲ることになり、その堂宇を移したものだといいます。
天妙国寺そのもの、および関係する2つの寺社
天妙国寺
顕本法華宗は、日蓮を宗祖とし、日什を開祖とする宗派だそうだが、時宗以上に私にはよくわからない宗派だ。かなり大きな寺院であることは見ただけでわかるのだが、…。戦後、妙満寺の伝統を守るために独立を主張する派と、日蓮宗に残留して内部改革をすべきと主張する派に分かれ、前者は当時の管長・中川日史らが独立し現在の顕本法華宗となり、後者は日蓮宗に残り日蓮宗什師会となったそうだ。










顕本法華宗の天妙国寺は、鳳凰山と号し、顕本法華宗の別格山で、江戸時代には、南品川本光寺、浅草慶印寺と共に京妙満寺末触頭三寺でした。弘安8年(1285)に日蓮の弟子中老僧天目が開創、江戸時代には寺領10石の朱印を賜っています。
真了寺
もともとは、天妙国寺の塔頭寺院だった。それなのに、顕本法華宗が社会情勢の激変を受けて、目まぐるしく動いたので、こちらは袂を分かって日蓮宗にとどまったのか。もちろん、人間の面倒をも見るようだが、ペットの寺院でもあるようだ。時代だなあ。金回りが良いのか、非常に立派な建物を構えている。




日蓮宗寺院の真了寺は、延宝元年(1673)に天妙国寺塔頭寺院として建立しました。寺地は天妙国寺の道路向かいにあります。
南品川諏方神社
だと思う。天妙国寺の開基天目が自身の生国信州の諏訪大明神を勧請して、弘安年中(1278-1287)に創建したといわれているそうだ。今は、神社として機能しているのか否か不明だ。『諏訪』の字ではなく『諏方』の字を用いるので印象に残る。諏訪は古くは諏方と書いたようで、昔ながらの表記が諏方ということになり、昔ながらの書き方を踏襲している神社もいくつかあるようだ。




諏訪神社は妙国寺の南にあり、当寺を開山せる天日上人は信州の生まれで、郷里の大社諏訪明神を勧請したもので、当初は海岸の洲崎に建っていたので洲の宮といわれていた。永享のころ(一四二九-四一)、社を現境内に引いて再建した。同八年(一四三六)七月、郡司二階沙瀰正三は神田二段を寄進し祭事を勤行させた。(東京都神社名鑑より)