一条恵観山荘の庭園ほかを見て回った(1)
一条恵観山荘の庭園(1)
道路から見た様子
当然のことだが、内部の様子はうかがい知ることができない。入ってからの楽しみだ。






庭園図
薄い色の鉛筆で書かれたような文字なので、かなり見えにくい。原図がそういう状態なのでご容赦願いたい。

受付付近
この辺りに季節になると金蘭が咲くのだそうだ。エントランスの先には茶室『時雨』があった。こちらの円窓もかなりの風情がある。後ほど取り上げる。





奥に見えているのが茶室『時雨』のようだ




茶室『時雨』には入らず(見学などの用件以外では入ることはできないようだ)、右に折れて庭園に向かう。
かにの蹲踞
生きたカニかと一瞬思った。が、こんな大きな沢蟹がいる筈もなく、…。六角形の洒落た蹲踞だった。

カニさんが動いたわけではない。私が移動しても横から撮った。


御幸門
天皇をお迎えするためのご門。これだけは、移築したものではなく再現したものだそうだ。『かにの蹲踞』から踵を返して真黒石を踏みしめて向かう。門を支える柱だが、非常にすごかった。いじられないように網で囲ってあった。



気になったので受付の人に確認したら、『背後から手を差し入れられるので、もう一度触ってみてこられたら』ということだったので、遠慮なくそうさせてもらった。教えて貰った木の名前を失念してしまったが、コルク質の触感が心地よい樹皮だった。一度丁寧に剥いで、もう一度接着したものだとか。



編笠門
なんというお洒落な門だろうか。こんな粋な門を私は今まで見たことがなかった。


武家文化の所産がいまも色濃く残る古都鎌倉。相模湾に注ぎ込む滑川上流に、後陽成天皇の第九皇子であり、摂政・関白を二度務めた一条恵観(兼遐・昭良)によって営まれた山荘が佇んでいます。往時は京都西賀茂、緑の濃淡が幾重にも連なる里山に建つ一条家別邸の離れでした。
恵観公の没後、一条家から分かれた醍醐家がその別邸を継承。様々な時代を経て、昭和34年、鎌倉の地に移築され、保存・管理をする財団法人恵観公山荘茶屋会が設立されました。その後、移築を指揮した堀口捨己博士の研究により、昭和39年には国の重要文化財に指定。昭和62年には現在の地へ再び移され、同時に往時の庭や、天皇をお迎えするための御幸門も復元されました。現在は、恵観山荘保存会が、管理を続けています。