江戸東京たてもの園に行った(4) - 江戸東京たてもの園に行った_2018_Jun
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江戸東京たてもの園に行った(4)

強烈な日差しを受けて私の腕前ではうまく撮れない建物がいくつも出てしまった。取って出しを原則とはしているが、これでは申し訳ないということで、一部、明るさとコントラストをJ-TRIMというフリーソフトで補正した。

伊達家の門
伊達家の門というと、仙台の伊達家の方を思い浮かべることだろう。が、こちらは、分家筋にあたる旧宇和島藩伊達家が大正時代に東京に建てた屋敷の表門。大正時代でも、当時の東京の郊外だった白金の地とはいえ、これだけの広壮な門を構えることができたようだ。よほどしっかりした財テクができる執事でも居たのだろうか?
伊達家の門_外側
伊達家の門_1
伊達家の門_内側
伊達家の門_2
伊達家の門_3
伊達家の門_4
この門から黎明期の自家用自動車も出入りしたのだろうか?
伊達家の門_5
伊達家の門_6
建築年代大正期
所在地港区白金二丁目
解説
旧宇和島藩伊達家が大正時代に東京に建てた屋敷の表門です。〈起り屋根(むくりやね)〉の片番所を付けるなど、大名屋敷の門を再現したような形をしています。
総欅(けやき)造りで、門柱の上に架けられた冠木(かぶき)には、宇和島藩伊達家の木彫りの家紋が施されています。


センターゾーンは以上で、東ゾーンに向かう。

村上精華堂
当時のお化粧品は、大メーカーの寄るものではなく、個人商店が自家製造のものがあったんだ。へちま水などの延長線上にあったのかなあ。美しく装いたいという女性の欲望が下支えになっていたのかな。それにしてもモダンな建物だったんだ。
モダンを自負する御婦人方をひきつけてやまない魅力があったのだろう
村上精華堂_1
村上精華堂_2
村上精華堂_3
村上精華堂_4
ここで商品を選択し、隣の部屋で試してみたりしたのだろうか?
村上精華堂_5
手前のケースに入っていたものが、企画展開催中で持ち出されていた。そのため、やや殺風景な感じだった。私が思うに、ここで上がり込んで、お茶をすすりながら、試し塗りをしてみたのではなかろうか?
村上精華堂_6
村上精華堂_7
バック・ヤード。ここで自家製造を行っていたようだ。
村上精華堂_8
村上精華堂_9
村上精華堂_10
村上精華堂_11
村上精華堂_12
名称村上精華堂(むらかみせいかどう)
建築年代1928年(昭和3)
所在地台東区池之端二丁目
解説
台東区池之端の不忍通りに面して建っていた小間物屋(化粧品屋)です。
昭和前期には、化粧用のクリーム・椿油や香水等を作って、卸売りや小売りを行っていました。正面は人造石洗い出しで、イオニア式の柱を持ち、当時としてはとてもモダンな造りとなっています。

AzTak
Posted by AzTak
投稿 2018年06月23日
最終更新 2018年06月23日

10 Comments

There are no comments yet.

aiupa  

おはようございます^^

J-trimはフリーソフトながら優秀ですよね~
ただ部分的に明るさを変えるとか細かくできるわけではないので
有料ですがadobeのlightroomがお勧めです^^

2018/06/23 (Sat) 09:41

MT  

おはようございます

化粧品は今も昔も女子にとって欠かせないものですよね。そんな女性たちの心に刺さる製品を販売するには建物もそうなければいけないということでしょうか。さぞかし最先端を行く女性たちでにぎわったことでしょうね。当時の香水瓶なども実に興味深いものです。

2018/06/23 (Sat) 10:34

のんびり熊  

AzTakさん

こんにちは
しっかりした執事を持つもんですねえ。
持てるもんならですがね。
中東やヨーロッパのお金持ちから見れば。可愛いもんかもね。

2018/06/23 (Sat) 12:49

x都人x  

こんにちは
う~流石に伊達家!
重厚感のある立派な
門構えですね!

2018/06/23 (Sat) 15:57

senri32  

フリーソフト

J・トリム。私も使ってます。最近フォト・スケイプの方がお世話になっているかも
しれません。いいフリーソフトですよね。

2018/06/23 (Sat) 18:00
AzTak

AzTak  

Re: おはようございます^^

aiupaさん、こんばんは。

> J-trimはフリーソフトながら優秀ですよね~
> ただ部分的に明るさを変えるとか細かくできるわけではないので
> 有料ですがadobeのlightroomがお勧めです^^

そのようですよね。いつも、RAW現像をしなくちゃと思いながら、超自転車操業で、それどころじゃない状況の連続です。
Photoshop,Lightroom,Silkypixなどを使ったことがないわけではないのですが、本格的な使用に至らなくて、中途半端な理解にとどまっています。今もSilkypixをノートに入れているのですが、勿体ないことに全く使用できていません。
おいおい使い方をマスターして、利用していこうと考えています。

2018/06/23 (Sat) 21:04
AzTak

AzTak  

Re: おはようございます

MTさん、こんばんは。

> 化粧品は今も昔も女子にとって欠かせないものですよね。そんな女性たちの心に刺さる製品を販売するには建物もそうなければいけないということでしょうか。さぞかし最先端を行く女性たちでにぎわったことでしょうね。当時の香水瓶なども実に興味深いものです。

女心を蕩かした魅力があったのかもしれませんね。特に新時代に入り、世に出る機会が格段に増えたでしょうから、美しく装うことも、関心の的だったと思います。昭和初期のころは、建物も建てたばかりで光り輝いていたのでしょうね。関東大震災を機会に素晴らしい建物をおっ建てた感じなのでしょうか。

2018/06/23 (Sat) 21:10
AzTak

AzTak  

Re: AzTakさん

> こんにちは

のんびり熊さん、こんばんは。

> しっかりした執事を持つもんですねえ。
> 持てるもんならですがね。

九鬼水軍の子孫が兵庫県の三田市辺りを統治していた三田藩主になりました。明治になった時に、凄い財テク手腕を発揮したそうです。神戸のめぼしい土地をすべて手中に収めたとか。そこに白洲という名前が出てきます。
最後の13代隆義は藩政改革を行い、軍隊を洋式に改めた。慶応3年(1867年)藩論が倒幕に統一され、鳥羽・伏見の戦いにおいても洋式軍隊を率い官軍方として参戦した。また、明治維新が起こると、近代港として神戸港が整備されると知るや、幕末から明治維新の混乱による財政の立て直しと廃藩置県で困窮する三田藩士を救うべく、藩士の白洲退蔵(白洲次郎の祖父)、小寺泰次郎らとともに「志摩三商会」という神戸初の輸入商社を設立する。これが成功を収め不動産や金融業に乗り出し、現在の元町、三宮といった神戸港周辺の都市開発や神戸女学院の前身である女子寄宿学校・神戸ホームの創立に関わるなど、神戸の街づくりに多大な影響を及ぼしている。
明治4年(1871年)廃藩置県により三田県となる。その後、兵庫県に編入された。
藩主家は明治2年に華族に列し明治17年(1884年)に子爵となった。


> 中東やヨーロッパのお金持ちから見れば。可愛いもんかもね。

いやいや凄い人たちもいたようです。

2018/06/23 (Sat) 21:17
AzTak

AzTak  

Re: フリーソフト

senri32さん、こんばんは。

> J・トリム。私も使ってます。最近フォト・スケイプの方がお世話になっているかも
> しれません。いいフリーソフトですよね。

私はSilkypixなどを所有していないわけではないんです。所有はしていても、恥ずかしながら使いこなせない、お恥ずかしい状態です。自転車操業で記事を更新するのがやっとで、画像処理はほとんどやれていません。
仕方なく、J-Trimのお世話になりました。

2018/06/23 (Sat) 21:22
AzTak

AzTak  

Re: タイトルなし

> こんにちは

x都人xさん、こんばんは。

> う~流石に伊達家!
> 重厚感のある立派な
> 門構えですね!

私も最初はそう思っていたのですが、この伊達家は四国の宇和島藩主だった伊達家なんです。仙台の伊達家の分家筋にあたるようです。分家でもすごいものですね。

2018/06/23 (Sat) 21:25

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