江戸東京たてもの園に行った(4)
伊達家の門
伊達家の門というと、仙台の伊達家の方を思い浮かべることだろう。が、こちらは、分家筋にあたる旧宇和島藩伊達家が大正時代に東京に建てた屋敷の表門。大正時代でも、当時の東京の郊外だった白金の地とはいえ、これだけの広壮な門を構えることができたようだ。よほどしっかりした財テクができる執事でも居たのだろうか?
伊達家の門_外側

伊達家の門_内側



この門から黎明期の自家用自動車も出入りしたのだろうか?


建築年代大正期
所在地港区白金二丁目
解説
旧宇和島藩伊達家が大正時代に東京に建てた屋敷の表門です。〈起り屋根(むくりやね)〉の片番所を付けるなど、大名屋敷の門を再現したような形をしています。
総欅(けやき)造りで、門柱の上に架けられた冠木(かぶき)には、宇和島藩伊達家の木彫りの家紋が施されています。
センターゾーンは以上で、東ゾーンに向かう。
村上精華堂
当時のお化粧品は、大メーカーの寄るものではなく、個人商店が自家製造のものがあったんだ。へちま水などの延長線上にあったのかなあ。美しく装いたいという女性の欲望が下支えになっていたのかな。それにしてもモダンな建物だったんだ。
モダンを自負する御婦人方をひきつけてやまない魅力があったのだろう




ここで商品を選択し、隣の部屋で試してみたりしたのだろうか?

手前のケースに入っていたものが、企画展開催中で持ち出されていた。そのため、やや殺風景な感じだった。私が思うに、ここで上がり込んで、お茶をすすりながら、試し塗りをしてみたのではなかろうか?


バック・ヤード。ここで自家製造を行っていたようだ。





名称村上精華堂(むらかみせいかどう)
建築年代1928年(昭和3)
所在地台東区池之端二丁目
解説
台東区池之端の不忍通りに面して建っていた小間物屋(化粧品屋)です。
昭和前期には、化粧用のクリーム・椿油や香水等を作って、卸売りや小売りを行っていました。正面は人造石洗い出しで、イオニア式の柱を持ち、当時としてはとてもモダンな造りとなっています。