江戸東京たてもの園に行った(3)
宗徧流の茶人、山岸宗住(会水)が建てた三畳台目と勝手とからなる茶室。高橋是清邸の並びにある。そちらの付属茶室という趣にしてあるように見えるが、西川家別邸に付属茶室という趣にしてある。アクセスが許されている範囲での撮影なので、多少見難いかもしれない。宗徧流での名前は最初に『宗』の字がつく。私の祖母もそうだった。宇野信夫氏の名前もよく聞く名前だ。最初にどこで見聞きしたのかと考えたが、おそらく歌舞伎のプログラムで見かけたのが最初かな。
黄色い壁面部分のみが会水庵。母屋に見立てたのが、右側に写っている西川家別邸である。

左側が三畳台目。右手前側が勝手。

三畳台目

躙り口から内部を見た。案外広く見える。

腰掛。招待客はここで席主から声がかかるのを待ったのだろう。後出する西川家別邸の画は、この辺の様子を描いたものだろう。

残念ながら障子が締め切られていた。会水庵と書かれてあった。

西川家別邸との接続箇所

宗徧流の茶人、山岸宗住(会水)が建てた茶室です。
1957年(昭和32)、劇作家の宇野信夫が買い取り、西荻窪に移築しました。本畳三枚と台目畳一枚からなる三畳台目の小間の茶室です。
西川家別邸
地元の実業家西川伊左衛門が隠居所及び接客用に建てた別邸だそうだ。見に行ったときは、これから耐震工事に取り掛かる準備作業中のようで、やや無粋な赤いものなどが目につくが、無視していただきたい。
内部は完全な和風の家屋だった。
ほぼ全景
なんだかソフトバンクのCMみたいで気に入らない響きだが、ほぼ全景だ。魚眼擬きを持参したのを思い出したが、ちょっとへばっていて、使用することなしに手抜きをした。玄関を挟んで向かって左側(西側)が客間で接客空間、右側(東側)が茶の間などの居住空間となっているようだ。



もとは赤坂と昭島市とまったく違う場所に所在したが、今は高橋是清邸と隣接している。しかし、あのような凄い邸宅が隣家だったら、いつも卑下してしまいそうだ。


玄関を入ったあたり


すぐ右隣の部屋
簡単に応接するときに多用した部屋だそうだ

『茶庭』という作品
会水庵での様子を描いた作品の複製だそうだ。こういう作品の複製まで用意するとは、お役所にしては芸が細かい。



その他の部屋
薄暗かった。やむを得ず露出補正をしたのだが、やりすぎだった。大失敗。






庭の夏椿



建築年代1922年(大正11)
所在地昭島市中神町二丁目
北多摩屈指の製糸会社を設立した実業家西川伊左衛門が隠居所及び接客用に建てたものです。
多摩地域の養蚕・製糸業が最盛期をむかえた時期(大正期から昭和初期)に建てられ、 よく吟味された部材が使われています。