北鎌倉で花を愛でた(5)
思いがけず長く続けることになった明月院の記事。今だったら、おそらく花菖蒲の開花の時期でもあり、本堂裏の庭園が公開されているかもしれない。先の週末などは、ものすごい人出かもしれない。思い入れはあるが、今回までとしたい。
茶所月笑軒
お抹茶と菓子とをいただける。男一人では何となく入りにくく、いつもパスしている。

北条時頼廟
五代執権北条時頼の廟所。37歳での死か。平均寿命が今のように長くはない時代でも、かなりの若死にだったのでは。執権を辞して出家したのは30歳だったのか。う~~ん。


北条時頼墓(宝篋印塔)
廟所の奥の宝篋印塔は時頼の墓と伝えられている。確かに宝篋印塔だが、随分小さく質素なものだ。



かつて、この辺りには時頼が建てた最明寺があった。
『吾妻鏡』は、1256年(康元元年)、時頼が出家の準備のために建立した寺と記している。
時頼は、この年の11月22日に執権を辞し、翌日には、最明寺で蘭渓道隆を戒師として出家する(法名は「覚了房道崇」)。
以後、最明寺で隠居生活を送り、「最明寺入道」と呼ばれていた。
出家からちょうど7年後の1263年(弘長3年)11月22日、最明寺で没(37歳)。
最明寺は時頼の死後廃絶するが、子の北条時宗が最明寺を前身とする禅興寺を創建し(開山は蘭渓道隆)、明月院は禅興寺の支院の首位に置かれていた。
花壇
色とりどりの季節の花が美しかった






























明月院を後にして、東慶寺に向かう