江戸東京たてもの園に行った(1)
小金井公園西門から入る
途中の道はこんなふう


江戸時代の茅葺き屋根の古民家が見えてきた。この建物園には、こうした古民家も数件あるが、明治以降のユニークな建物も数多く残されている。

旧光華殿
現在は、江戸東京たてもの園のビジターセンターになっている。内部は、江戸東京たてもの園のビジターセンターとしての機能を担保すべく、改装されている。78年前の建物の内部としては、かなり近代的なものになっている。元の姿は外観のみにとどめるということなのだろう。



昭和15年(1940年)に紀元二千六百年記念式典の会場として皇居外苑に造営。式典終了後の昭和16年8月に当地へ移築された。
旧自証院霊屋
幕府の勢いが隆盛を極めた3代将軍徳川家光の側室だった自証院。お振りの方の霊屋だ。男色傾向があった家光に何とか子供を授からせようと。春日局ほかが躍起になっていたようだ。そういう意味合いがあって側室に抜擢されたお振りの方だったが、家光にとっての初子である長女・千代姫を産むものの、その後体調を崩し、3年後の寛永17年(1640年)8月21日に早世した。
将軍側室の霊屋が残る例はほかに存在するのか寡聞にして知らない。しかしながら、この霊屋は見るものを間違いなく驚かせるほどの華やかな霊廟建築だ。尾張藩主徳川光友の正室千代姫が、その母お振の方(三代将軍徳川家光の側室)を供養するために建立した霊屋だそうだ。う~~ん。






旧自証院霊屋 - 江戸初期の慶安5年(1652年)に建てられた、幕府大棟梁甲良宗賀による華やかな霊廟建築。3代将軍徳川家光の側室自証院(お振りの方、石田三成の曾孫)を祀ったもの。東京都指定有形文化財(建造物)。
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寛永14年(1637年)閏3月5日、家光にとって初めての子である長女・千代姫を産む。その後体調を崩し、3年後の寛永17年(1640年)8月21日に死去した。法名は自証院殿光山暁桂大姉(じしょういんでんこうざんぎょうけいだいし)。榎町の法常寺に葬られた後、慶安5年(1652年)富久町の自證院に建てられた霊廟に改葬された。現在、この霊廟は「旧自証院霊屋」として江戸東京たてもの園内に移築保存されている。
宝篋印塔ほか
旧自証院霊屋の傍に置くしかなかったのだろう。他に適当な場所はなさそうだ。
宝篋印塔
文化8年(1811年)のもの。川越市に所在したもの。

五輪塔
いずれも相当に古そうだ



寛永寺灯篭
そうではないかと思った予想が当たった


高橋是清邸
二・二六事件で暗殺されたあの高橋是清の邸宅跡だ。次回詳しく取り上げる。
