次大夫堀公園民家園(3)
古民家で二階建てのところはかなりの比率で存在する。だが、実際に二階まで上がらせてくれるケースはごく僅かだ。こちらは、その有難い例だ。半農半商の家だったらしく、なんとなく中に入りやすい感じになっている。店舗設計の勘所を踏まえた家なのかもしれない。
所在地の説明文に『筏道』なんてのがあった。何の道かと思ったが、この土地特有の道だったんだ。
外観はこんな風



魚眼擬きでも撮ってみた。ちょっと暗く撮れるのかなあ。


何となくエネルギー切れの兆候があったので、ちょいとエネルギー補給。江戸時代は居酒屋ではなく、酒類の小売店だったのかなあ。

内部はこんな風
結構しっかりした普請の家屋だ。それなりにお金をかけている感じだった。




有難いことに囲炉裏には火が入っていた。訳もなくうれしくなる。












魚眼擬きでも撮ってみた











この主屋は、喜多見にある城田家の屋敷から移築しました。城田家屋敷は登戸道と筏道が交わる辻にあって、江戸時代末には酒屋を営んでいたといわれています。主屋は弘化3年(1846)以前に建築されたと推定しています。間取りは喰違い四ッ間型ですが、ドマに広く張り出した板床や厨子二階などの店造りが特徴です。
店舗を併用した江戸時代の古民家の特徴を生かして、園内の売店として活用しています。
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筏道
筏道が意味することは、奥多摩方面で木材を伐採し、青梅市辺りで筏を組み、竿一本で操作し多摩川を下り、大田区の六郷、羽田付近で陸揚げして、回漕問屋に納める。この間、三日から四日にかけて下るそうです。
問屋は、そこから更に東京湾を進み本所深川の材木問屋などに納める。
そして、筏で多摩川を下った筏師は、問屋に納め役目を終えて、再び奥多摩の方へと向っていく。その帰りの道を筏道と言います。