次大夫堀公園民家園(1)
民家園の性格上そう展示内容が変わるわけではないので、目先を変えるべく、久しぶりに世田谷区立の次大夫堀公園民家園に行ってみた。
復元された次大夫堀
ほんのわずかだが、用水路が復元されている。野川から取水しているのかと思っていたが、多摩川から直接取水していたようだ。



園内には公園の名の由来になっている「次大夫堀」という用水が流れており(後年復元されたもの)、これは稲毛・川崎領(現在の神奈川県川崎市)の代官であった小泉次大夫の指揮により、慶長2年から15年の歳月をかけて開発された農業用水の一部である。この用水は正式には六郷用水といい、昭和初期までは周辺農地などに使われていたが、現在大半は埋められたか雨水用の下水に転用されている。世田谷区内では次大夫掘公園内に復元された約600mの流路と、丸子川として一部分のみ残っているのみである。
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次大夫堀公園民家園に足を踏み入れる
どこか懐かしい農村の趣がそこにあった。世田谷区は、今でこそかなりひらけた大きな特別区だが、少し前まではかなり農村の雰囲気を残していた地区もあった。そのような雰囲気を感じさせる。火の見櫓があると思っていたが、あったのは梯子と半鐘だけだったんだ。




旧谷岡家住宅表門
ここからは、個々の展示物を細かく見ていく。農具の展示は旧谷岡家で使用していたものばかりではなさそうだ。かなり興味深いものだった。
敷地内部から見た様子


ドジ
向かって左側。いうなれば土間だ。当初は納屋として独立の建物だったのかな。

こいつは芋洗いか。なるほどねえ。

おなじみの唐箕。子供の頃は、いくらでも見かけた。

農用扇風機だそうだ。手廻しなんだ。大豆などの殻を吹き飛ばすために使用したのかなあ。わが故郷にはこんな便利なものはなく、風の強い日に作業していたように記憶しているのだが、…。

万石通し。こんなものもあったのか。篩で代用していたと思う。世田谷は大規模な農地があったんだなあ。

その他の農具

あの笠の出来損ないのようなものは何なんだろうか。先に網を仕掛けて魚を捕るための道具だったのかな。今でも多摩川には500万匹以上のアユが遡上するという。このころは、そんなものじゃきかないくらい多く居たのかなあ。


クラ
向かって右側。穀物や味噌の貯蔵に用いられていたようだ。

敷地外部から見た様子
最初から長屋門として作られていたように見える。が、どうやら違うようだ。最初は2棟の小さな建物があり、それの真ん中に潜り口をつけて長屋門の体裁にしたのか。そのころ、農家としての格が上がったのかなあ。



世田谷区指定有形文化財(建造物)
平成3年1月24日指定
江戸時代
桁行6.7間(12.1m)、梁間2間(3.6m)、寄棟造、茅葺
この門は深沢にある谷岡家屋敷から移築しました。長屋門形式の表門で、門の両側には2間四方の部屋が配され、一方が土間の納屋、一方が床板張りの穀倉です。
当初は長屋門ではなく、両脇の部屋は2棟の別々の建物であったと推定しています。天保9年(1838)に、2棟の建物をあわせ、中央に門を付けて長屋門にしたと考えられています。
民家園では正門の脇に配置され、農具などの展示室として活用しています。