目黒区外の庚申塔など(3)
自由が丘駅からぶらぶら歩き出した。この日は世田谷区奥沢界隈を歩いた。世田谷区というと目黒区からはすごく遠いという感じがある向きがあるかもしれないが、自由が丘駅の南口を出るとすぐ世田谷区奥沢になる。なので、ごくごく近いところでもあるのだ。その辺りをぶらぶら歩きをして奥澤神社に着いた。
自由が丘駅からぶらぶら歩き
こうしてみるといい街だなと思う









奥澤神社
発祥は、室町時代までさかのぼる古い神社のようだ。が、失礼ながら、大した神社とは思えなく、祭礼の「奥澤神社の大蛇お練り神事」だけが注目に値するものかなと、個人的には思っている。
鳥居が見えてきた
鳥居に大蛇が絡みついている。それが何とも奇異な感じに見える。ここの氏子たちは元は農民だっただろうが、今は歴とした高級住宅地の住民たち。わら細工はどうやって行っているのだろうか?どうやら今でも氏子たちがまもっているようだ。






境内に入る






この説明文は、一文多意で非常にわかりづらい。これが教育委員会の人たちの書いた文章なのだろうか?


社殿は確かに立派だ。




PDF画像を借用した

生命力旺盛な樹木
息も絶え絶えの状況かと思うのだが、どっこい葉を茂らせている。見事なものだ。


本殿に安置されている大蛇
奥澤神社の祭礼について、『新編武蔵風土記稿』巻之五十には「祭礼九月十五日、村民ウチヨリテ神楽ヲ奏ス」との記述しか見当たらない。一般には9月第2土曜日に行われる「奥澤神社の大蛇お練り神事」が知られている。
この神事については、次のような由来が伝えられている。江戸時代の中頃、奥沢の地に疫病が蔓延した。ある夜名主の夢枕に八幡神が現われた。八幡神は「藁で作った大蛇を村人が担いで村内を巡行させよ」と名主に告げた。名主は早速夢告に従って新藁で大きな蛇を作り村内を巡行させたところ、疫病は程なくして治まった。藁の大蛇は厄除けの守護神として崇められ、年に1度村内を巡行する祭が始められた。
べんてん道

弁財天女社地の石柱在り





八幡小学校発祥の地
世田谷区立八幡小学校はここからスタートか。元の八幡神社にあったからのネーミングだったのだろう。

庚申塔ほか
庚申塔
割と見やすい感じで残っていた。文字が何と彫られているか確認するのを失念してしまった。(^_^;)

庚申塔には「享保三(1718)年」の銘があり、「青面金剛講中」のものだ。

「南無大師遍照金剛」の碑
南無大師までは何とか読むことができたが、遍照金剛はよむことができなかった。説明されると、ああなるほどという感じかな。文政三年「下沼部村密蔵院現住廣照」と刻まれているそうだ。密蔵院が奥澤神社の別当寺であったことの証のようだ。沼部は今では大田区か。所在地は、大田区田園調布南。区境も入り乱れているが、そんなに遠くはないはずだ。
