真鶴岬~山中城跡~箱根~富士山(3) - 真鶴岬~山中城跡~箱根~富士山_2012_November
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真鶴岬~山中城跡~箱根~富士山(3)

山中城跡(2)

本丸堀
日光の加減ではっきりしないが、二の丸から本丸に進むには橋などなかったようだ。今は安全のために架橋されている。
そして、本丸堀には巨大な穴が。泥を貯めてあったのだろうか。下に向かっては大きな畝堀が。
巨大な穴
本丸堀の巨大な穴_1
本丸堀の巨大な穴_2
畝堀
本丸堀の畝堀_1
本丸堀の畝堀_2
本丸堀の畝堀_3
本丸
標高578m、平坦面が2段になっていて合わせて面積1740平米。そんなに広いかなあという感じだが。藤棚の辺りに本丸御殿があったようだ。かなり小さいものだったと思う。
本丸_1
本丸の一段低くなっている部分と更に低い兵糧庫跡。建物は見学者用の東屋。当時の建物ではない。
本丸_2
天守櫓跡
表示板によれば、標高586m、この敷地で一番高い場所にある。天守は独自の基壇の上に立てられていて、この基壇を天守台というそうだ。基壇は一辺が7.5mのほぼ方形となり、盛土によって50~70cmの高さに…(中略)…天守台には、井楼、高櫓が建てられていたものと推定されるとのこと。
天守閣などを想像してはいけないようだ。
天守櫓跡_1
天守櫓跡_2
兵糧庫跡
本丸のすぐ下の平面にある。兵糧庫や弾薬庫の跡と伝えられているそうだ。
西側の区画からは当時の建物の柱穴と思しきものが確認されている。東側の区画には不整形な穴が数穴確認されているとのこと。
兵糧庫跡

宗閑寺と戦死した武将の墓
山中城攻城戦での戦死した、北条軍(山中城主の松田康長、副将の間宮康俊兄弟、上野箕輪城主の多米長定)、豊臣軍(一柳直末)の墓石が並んでいた。
宗閑寺
宗閑寺_1
宗閑寺_2
北条軍の墓。苔がすごくて誰の墓かわからなかった。
北条軍の武将の墓_1
北条軍の武将の墓_2
豊臣方の一柳直末の墓
一柳直末の墓
旧東海道の石畳
山中城は旧東海道を取り囲むような形で展開している。反対側には、御馬場曲輪、岱崎出丸などがある。
旧東海道の石畳
芝切地蔵尊
よくあるような話が基で、地蔵尊が祀られたようだ。そこにある石碑と灯篭とが非常に味があったので、撮ってみた。
芝切地蔵尊_1
芝切地蔵尊_2
芝切地蔵尊_3
AzTak
Posted by AzTak
投稿 2012年11月12日
最終更新 -0001年11月30日

8 Comments

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solo  

おはようございます。

狭い日本と云われながら、まだまだ見るべきものが多くありますね。
山中城には観光客が登場しませんが、作意以外だとすると、
相当にひっそりとした史跡?ですね。
ここを採り上げられただけでも興味津々の記事です。

2012/11/12 (Mon) 06:42

AzTak  

Re: タイトルなし

> おはようございます。

soloさん、おはよう御座います。

> 狭い日本と云われながら、まだまだ見るべきものが多くありますね。
> 山中城には観光客が登場しませんが、作意以外だとすると、
> 相当にひっそりとした史跡?ですね。
> ここを採り上げられただけでも興味津々の記事です。

本当に平日の午後2番くらいだったので、我々の一行以外にはそれほど人はいませんでした。のんびりしている内に貸し切り状態に。終わり頃、路線バスの時間を見たら、もうバス便は終了でした。
平日にマイカーでいくのが一番でしょうね。ずっと空堀の使い方を考えていたんですが、よくわかりませんでした。私が豊臣方だったら、知らずにトラップに嵌まりあえなく北条軍の餌食になっていたのでしょうね。

2012/11/12 (Mon) 08:49

solo  

トラップ

小生も餌食1号か2号になっているでしょうね。
1号だけは勘弁してもらいたいですが(笑)。

空堀
筋トレで掘ってみた!ってな事ではないでしょうね。

2012/11/12 (Mon) 09:38

maverick07  

いつもご訪問ありがとうございます♪
おじゃまさせて頂きました(^o^)/
日光ですか~ 歴史を感じtる風上ですね♪
一度は訪れてみたいですね!

2012/11/12 (Mon) 10:36

AzTak  

Re: タイトルなし

> トラップ
>
> 小生も餌食1号か2号になっているでしょうね。
> 1号だけは勘弁してもらいたいですが(笑)。

あはは、不名誉第1号は私で決まりです。もっとも、その前段階でアウトかも。

> 空堀
> 筋トレで掘ってみた!ってな事ではないでしょうね。

あはは、それはないでしょう。筋トレしなくとも、あの辺を警備のためうろちょろするだけで、十分トレーニングになっています。(笑)
真面目な話、障子堀や畝堀には泥を貯めてあったようです。まるで『風雲たけし城』の意地悪な設定みたいですね。
そちらは何となく分かるのですが、首をひねるのは三の丸堀の空堀の方です。まるで、ボーリングのレーン脇の溝みたいです。あそこを上部から石を転がした?ますます。『風雲たけし城』の世界ですね。

2012/11/12 (Mon) 12:17

AzTak  

Re: タイトルなし

> いつもご訪問ありがとうございます♪

maverick07さん、こんにちは。
素晴らしい地元の写真の数々に圧倒されています。また、アクセスすると思いますが、嫌わないでくださいね。

> おじゃまさせて頂きました(^o^)/
> 日光ですか~ 歴史を感じる風上ですね♪
> 一度は訪れてみたいですね!

ごめんなさい、説明が十分じゃなかったかもしれません。山中城は、伊豆半島の付け根辺りにあります。
徳川家康が関東を領地にする前、関東を支配していたのは、北条氏(後北条氏)でした。本拠地は小田原だったのですが、西に対する備えをこの山中城に置いたのです。旧東海道の道筋ですから、何かあるときは、ここが主戦場になると考えたようです。
悪い予感があたったのか、豊臣方の不興を買い、結局はやられてしまいました。その名残です。400年も前の世界です。

2012/11/12 (Mon) 12:30

kozoh55  

お晩です、AzTak様

本丸、倉庫など、ちゃんと場所が把握されているのですね。
当時の地形がこれほど忠実に残っていうのは、
やっぱり驚きです。
敵も味方も両方弔われているのは、
案外、よく見かける風景で
日本人というのは、どこか日本人同士という同胞意識があるからか、
時を経ると、まるで仲間のようになってしまいますね。
それにしても北条氏の存在は大きかったんですねえ。

2012/11/14 (Wed) 01:21

AzTak  

Re: お晩です、AzTak様

kozoh55さん、おはようございます。

> 本丸、倉庫など、ちゃんと場所が把握されているのですね。
> 当時の地形がこれほど忠実に残っていうのは、
> やっぱり驚きです。

ここが出城で城下町でも何でもない本当の山の中だったので、誰の手も入らないままに歴史が過ぎていったのでしょうね。考古学者たちが、わずかに残る史料などを頼りに一部は発掘などして、元の姿を再現していったのでしょうね。

> 敵も味方も両方弔われているのは、
> 案外、よく見かける風景で
> 日本人というのは、どこか日本人同士という同胞意識があるからか、
> 時を経ると、まるで仲間のようになってしまいますね。

そうですねえ。北条方は負けたのだから、墓地を提供することは否応なしのことだったのかもしれません。
別に憎くて戦っていたわけではなかったカラではなく、そうした意味では戦が終われば、敵味方なしだったのかもしれませんね。

> それにしても北条氏の存在は大きかったんですねえ。

寄居北條まつりを見た時にそう思いました。小田原や八王子からも北條まつり関係者が駆けつけて盛大に行われていました。一時期のことでしょうが、関東を抑えていたというのは本当だったんだと思いました。

2012/11/14 (Wed) 06:47

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