目黒区外の庚申塔など(2)
渋谷川に架かる渋谷区東3-17に存在する庚申橋。その袂のテアトルエコーのビルの向かいに大型の庚申塔がある。渋谷区の説明板の記載によれば、寛政十一年(1799年)にたてられた『橋供養碑』と位置付けられるものらしい。しかも、大変珍しいとある。一方で、埼玉県には『橋供養碑』が少なくないという説明をするブログもあった。『橋供養碑』が珍しい存在か否かは別として、ちょっと風変わりな石碑だ。
異様に大きく細長い

最上段の文字を読むと、麹町、四ツ谷千田谷(千駄ヶ谷)、瀬田谷(世田谷)竹上村、用賀村、下馬引澤村、新田村(どこかな?)、隅田村(そう見えるが、だとすると結構遠いなあ)、下豊澤村(渋谷氷川神社近辺)、麹町とある。まあ、近辺の人が殆どだが、すぐ近くの住民ではない。


『橋供養碑』を兼ねる庚申塔なのだろう。庚申塔ということになれば、庚申講のメンバーがたてるもののはずだ。それなのに、かなり多くの名前が彫られてある。地域的にも地元の人ばかりでない。縁のある人が趣旨に賛同してお金を負担した事情がうかがえるが、そういうことをうまくまとめたコーディネーター(橋講中の世話役)のような働きをした人がいたのだろう。
渋谷川下流方向

渋谷川上流方向

彫りが美しい。素人が彫ったのではなく、石屋さんに彫らせたように思える。合掌六臂の青面金剛の右には『天下泰平』、左には『国家安穏』と書かれ、それ以外の余白部分には、人名が余すところなく刻まれている。人名が各所に及ぶので、庚申橋を通る道は、江戸時代には重要な交通路であったと渋谷区は結論付けているが、そうだったのかなあ。両隣の比丘橋や渋谷橋の方が主要道だった気がするが。