目黒川の桜と石碑とを見に行く(9) - 目黒川の桜と石碑とを見に行く_2018_Mar-Apr
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目黒川の桜と石碑とを見に行く(9)

十七が坂上の庚申塔
坂上に庚申塔などがあった。急坂として名高いこの坂を上り下りしなくて済んだ。それは良かったのだが、何とも無粋な囲いがあって、どうやって撮ればいいのか非常に悩ましかった。囲いがあるために、得心のいく感じでは撮ることができなかった。
全体
一族の小さな墓地に庚申塔などがある。一番わからないのは、屋根がかぶせてある石碑だ。ボロボロになって何があったのかよくわからない。だが、わざわざ覆いをするくらいなので、重要と考えていたものがあったのだろう。
十七が坂上の庚申塔_1
十七が坂上の庚申塔_2
十七が坂上の庚申塔_3
宝篋印塔
画像を拡大してみると、塔身のところに、『庚申供養』『未来現在過去』『三世佛』と彫られている。まあ、普通の文言だろう。宝篋印塔は誰でも建立することができたものなのだろうか?1626年建立で、区内で最古の庚申塔とされているそうだ。
十七が坂上の庚申塔_4
十七が坂上の庚申塔_5
板碑型
『奉造立庚申供養石塔一宇』『権大僧都祐海法印』『施主等二世安楽祈所』『本行院』と彫られている。中目黒の祐海といえば祐天寺の2世しか思い浮かばないが、時期がかなり違う。また、本行院という寺院も存在したか否か知らない。ということで建てたときの状況はまるでよくわからない。
調べたら、『二世安楽祈所』という記載は至る所に出てくる。生死の利益は一如であり、まさに「現世二世安楽祈所」…というような決まり文句のようだ。1657年建立

十七が坂上の庚申塔_6
これは何?
崩れきっていて、何をあらわしたものだったかまるで想像がつかない。でも、扱い方は最上等なのだ。
十七が坂上の庚申塔_7

藤の庚申
なべころ坂緑地公園の角、藤棚の下に2基並んでいる。前の道は古くから庚申道と呼ばれ、道沿いにさまざまな庚申塔が並んでいたのだそうだ。
藤の庚申_1
藤の庚申_2
藤の庚申_3
この道が『庚申道』か。その昔は、どのくらい庚申塔があったのだろうか?
藤の庚申_4
駒型青面金剛(日月・三猿)1684年
『合掌六臂』の青面金剛か。『合掌』だとは認識していたが、『六臂』の方は見落とした。有難みを増すべく盛ったのかなあ。
藤の庚申_5
板碑型(日月)『南無青面金剛』1688年
赤い覆いの布切れ。何とも無粋だなあ。
藤の庚申_6

さわら庚申
庚申塔よりもお堂の方が立派だ。鬼瓦の両脇にはお猿さんが控えている。中央には、柴又帝釈天の寺紋である菱形の渦巻きがある。また、それらしきことが書かれてある。柴又帝釈天を有難く思った人が奉納したのだろうか?この地から、電車を乗り継いでいっても片道1時間では着かない。往時の健脚でも参拝には一日がかりだったのだろう。
お堂
さわら庚申_1
さわら庚申_2
さわら庚申_3
さわら庚申_4
全員集合
さわら庚申_5
舟型青面金剛(日月・三猿)1692年
こちらも『合掌六臂』のスタイルだ
さわら庚申_6
板碑型『献海岸帰命帝釈天王』『南無妙法蓮華経』等1663年
さわら庚申_7
駒型青面金剛(日月)1697年
さわら庚申_8

五本木地蔵と五本木庚申塔群
もとからこの場所に建っていたそうだ。変遷の激しい区内なのに、そんなことがあったんだ。結構はっきりした庚申塔が揃っている。
勢揃い
五本木地蔵と五本木庚申塔群_1
五本木地蔵と五本木庚申塔群_2
結構浮き出しの高さがある。気合を入れて作ったと思われる。
五本木地蔵と五本木庚申塔群_3
五本木地蔵と五本木庚申塔群_4
五本木地蔵と五本木庚申塔群_5
五本木地蔵
庚申塔の特徴である日月があるが、文字が判読できないので地蔵としてあつかっているそうだ。確かに日月はくっきり見えているなあ。
五本木地蔵と五本木庚申塔群_10
駒型青面金剛(日月・二鶏・三猿・邪鬼)八臂1697年
『八面六臂』ならぬ『一面八臂』なのか。すごいものだ。前出の藤の庚申やさわら庚申は『合掌六臂』だったが、それとも違うんだ。
五本木地蔵と五本木庚申塔群_6
駒型青面金剛(日月・三猿)建立年は不明
これは『合掌六臂』のスタイルに見えなくもないが、自信がない。
五本木地蔵と五本木庚申塔群_7
駒型青面金剛(日月・二鶏・三猿)1686年
『合掌六臂』のスタイルだ
五本木地蔵と五本木庚申塔群_8
駒型青面金剛(日月・三猿)1695年
『合掌六臂』のスタイルだ
五本木地蔵と五本木庚申塔群_9
このほかお堂の外にもう一つあったようだが、見落としてしまった。

以上で『目黒川の桜と石碑とを見に行く』シリーズは終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。今後も同様の試みを続けますが、いつまでも『目黒川の桜…』というタイトルではおかしいので、別名称で行うつもりです。
AzTak
Posted by AzTak
投稿 2018年04月10日
最終更新 2018年04月10日

14 Comments

There are no comments yet.

makira  

こんばんは!

AzTakさん、こんばんは!
沢山の庚申塔巡りをされましたね♪
名もなき庚申塔もありますが
花が活けられ地元の人々の信仰が
今も生きていると実感させられますね!
目黒川の花のない葉桜でのさくらまつりが
ようやく終わりますね (笑)

2018/04/10 (Tue) 04:52

MT  

おはようございます

目黒区の石碑群には驚かされます。
いい住宅地の印象がありますが、このようなものも残されていることを改めて認識しました。

2018/04/10 (Tue) 04:58

みすてぃ  

おはようございますー

都会の道筋に庚申塔があるのですね。
藤の庚申は左右の提灯やお花も活けられてここを守っている信仰心も
伺えます。藤のいう名前の通り上に藤棚もあって、その季節には
藤の花が垂れてくるのでしょうか^^
道の角にこのような庚申塔や石碑や小神社などがあるのはみかけます。
街歩きは興味を惹かれるものや、坂の名前も興味深いですー!

2018/04/10 (Tue) 07:40

aiupa  

おはようございます^^

型にコンクリートとかを流し込んで作るのとまた違いますからね
石を彫っていくわけですから魂のこもり方が大きいと思います。
そして時間の経過とともに風化してく感じも味が増しますね^^

2018/04/10 (Tue) 09:35

senri32  

これは何?この写真の上部にお武家様が座っているように見えたのは私だけ?

2018/04/10 (Tue) 18:46

x都人x  

今晩は
大都会でもこんな石碑群が残ってるんですね~
大事に残して欲しいですね^^

こんなのがあると何だかほっとしますね!

2018/04/10 (Tue) 18:51

のんびり熊  

AzTakさん

こんばんは
庚申様も土地によって待遇がかなり違うんですかねエ
当地方で屋根付きのお堂は記憶にないですねえ
何処かに有ったかなあ
ウチの前の庚申様も嘆いているかな?

2018/04/10 (Tue) 19:37
AzTak

AzTak  

Re: こんばんは!

> AzTakさん、こんばんは!

makiraさん、こんばんは。

> 沢山の庚申塔巡りをされましたね♪
> 名もなき庚申塔もありますが
> 花が活けられ地元の人々の信仰が
> 今も生きていると実感させられますね!

江戸時代の人は強制的にお寺さんと結びつけられたこともあった所為か、結構、現代人と違って宗教心があったようですね。
本当に事実だったのか知りませんが、一時所在不明になっていた柴又帝釈天の板本尊が庚申の日に見つかったということで、庚申参りに拍車がかかったとか。
さわら庚申から柴又まで行くのは当時は難行苦行だったのではと思います。それでもあえて頑張ってお参りに行ったのかも。

> 目黒川の花のない葉桜でのさくらまつりが
> ようやく終わりますね (笑)

日にちをずらせばいいのに。何も対策を講じないなんて、馬鹿なことをするものです。

2018/04/10 (Tue) 20:52
AzTak

AzTak  

Re: おはようございます

MTさん、こんばんは。

> 目黒区の石碑群には驚かされます。
> いい住宅地の印象がありますが、このようなものも残されていることを改めて認識しました。

江戸のころは、江戸市中ではなく、限りなく江戸に近い農村でしたから。宗教心も結構あったのでしょうね。当時の輸送事情などを考えると、野菜などは、目黒は消費地に限りなく近く、作っただけ売りさばくことができたのではないかと思います。かなり裕福な農村だったと思います。
なので、…。

2018/04/10 (Tue) 20:56
AzTak

AzTak  

Re: おはようございますー

みすてぃさん、こんばんは。

> 都会の道筋に庚申塔があるのですね。
> 藤の庚申は左右の提灯やお花も活けられてここを守っている信仰心も
> 伺えます。藤のいう名前の通り上に藤棚もあって、その季節には
> 藤の花が垂れてくるのでしょうか^^
> 道の角にこのような庚申塔や石碑や小神社などがあるのはみかけます。
> 街歩きは興味を惹かれるものや、坂の名前も興味深いですー!

目黒は江戸のすぐ外の農村でした。お金には困っていない農民が多く、その境遇がずっと続くよう信心深かったのかもしれませんね。庚申塔を立てるなどは普通のことだったのかも。
坂はかなり多く勾配もかなり灸だったりして、いろいろな名前がついているようです。

2018/04/10 (Tue) 22:25
AzTak

AzTak  

Re: おはようございます^^

aiupaさん、こんばんは。

> 型にコンクリートとかを流し込んで作るのとまた違いますからね
> 石を彫っていくわけですから魂のこもり方が大きいと思います。
> そして時間の経過とともに風化してく感じも味が増しますね^^

庶民が自分たちの手で彫るとなると、柔らかい材質の石に彫ったりしたのでしょうかね。人生50年の時代に100年ももつものを志向したかでしょうね。そこへもってきて廃仏毀釈の動きまでありました。
よくぞ残ったものです。

2018/04/10 (Tue) 22:32
AzTak

AzTak  

Re: タイトルなし

senri32さん、こんばんは。

> これは何?この写真の上部にお武家様が座っているように見えたのは私だけ?

そう見えますか。目黒は江戸のすぐ隣の農村でした。侍を像に彫る必然性はないと思うのです。かなり剥落しているので、想像するのも困難な感じですね。こういうところにこそ、何らかの注釈を入れるのが学芸員の腕の見せ所でしょうが、…。

2018/04/10 (Tue) 22:44
AzTak

AzTak  

Re: タイトルなし

> 今晩は

x都人xさん、こんばんは。

> 大都会でもこんな石碑群が残ってるんですね~
> 大事に残して欲しいですね^^
>
> こんなのがあると何だかほっとしますね!

目黒区を大都会の一部に入れてくれるのは有難いですが、実際には単なる都会の住宅地という感じです。
のんびりしたところなので、庚申塔などが残ったのかもしれませんね。

2018/04/10 (Tue) 22:58
AzTak

AzTak  

Re: AzTakさん

> こんばんは

のんびり熊さん、こんばんは。

> 庚申様も土地によって待遇がかなり違うんですかねエ
> 当地方で屋根付きのお堂は記憶にないですねえ
> 何処かに有ったかなあ
> ウチの前の庚申様も嘆いているかな?

お堂まで作るとは気合が入っていますよね。願い主がかなりのお金持ちだったのでしょうか。

2018/04/10 (Tue) 23:00

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