自然教育園ほかに行ってきた(3)
紫雲山瑞聖禅寺
瑞聖寺は寛文10年(1670年)に創建された。江戸時代は、宗門人別改帳の厳格な運用がなされ、基本的に寺院の新設は認められていないはずであると思うが、間違いなく江戸時代に創建されたようだ。それも黄檗宗というなじみの薄い宗派の江戸の中心寺院として位置づけられたとか。他では江戸期の寺院は国指定の重要文化財の指定を受ける例は少ないと思われるが、その珍しい例なのだろう。
大雄宝殿(附:旧通用門) - 宝暦7年(1757年)の上棟。入母屋造、本瓦葺き、一重裳階(もこし)付き。
工事中でゆっくり撮影しにくい状況だった。でも、味わいのあるお堂だ。



「魚板」「雲板」(「風鐸」「魚鐸」)がいい感じだ。黄檗宗の寺院なんだなあ。




ご本尊は釈迦如来像だそうだ



境内入口(目黒通り側)
北側はかつては裏口だったが、今は目黒通りに面しているため、表口になった。

北側の門
かつての通用門は、東側入り口に移設された。ということで新しい門が立っている。

旧通用門(重要文化財の附指定)
工事中だったため、PDF画像を借用する

鐘楼


瑞聖寺(ずいしょうじ)は、東京都港区白金台三丁目にある禅宗寺院。宗派は黄檗宗系の単立。山号は紫雲山。本尊は釈迦如来。開山は木庵性瑫、開基は青木重兼である。
瑞聖寺は寛文10年(1670年)に創建された。開山(初代住持)は日本黄檗宗2代の木庵性瑫である。木庵は日本黄檗宗の祖・隠元隆琦の招きで明暦元年(1655年)に中国・明から来日し、寛文5年(1665年)に江戸入りした。開基(寺院創設の経済的基盤を提供した人物)は摂津麻田藩(大阪府豊中市)の2代藩主・青木重兼である。重兼は黄檗宗に深く帰依し、晩年には家督を譲って出家している。江戸時代には江戸の黄檗宗の中心寺院として「一山之役寺」と呼ばれていた。
大雄宝殿および通用門1棟は昭和59年(1984年)東京都指定有形文化財に指定され、平成4年(1992年)に国の重要文化財に指定された。
現在は寺の北側の目黒通り側が境内入口になっているが、本来こちらは裏門で、寺の東側が正式の入口であった。もと目黒通り側にあった高麗門形式の旧通用門(重要文化財の附指定)は、明治時代に東側に移築されている。
以上で、『自然教育園ほかに行ってきた』のミニ・シリーズは終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。