掛川に行ってみた(3)
天守閣の内部
1層目内部
木造建築だと良くわかる。相当に金をかけた建築物だろう。

他のどの藩主よりも山内一豊公がリスペクトされているようだ。名君の誉れが高かったのだろう。


2層目への階段
天守閣は例外なく急こう配の階段だが、こちらもその例に漏れない。高所恐怖症の私めは、これくらいでも、顔面が引き攣る。

2層目からの眺望
ここからだと樹木が視界を遮って、掛川西高校の校舎はよく見えない

先ほど上ってきた四足門と時の櫓とが見える


鯱の複製

正面が二の丸御殿
二の丸御殿へは、相当に下らなけれないけないんだ。はあーっ。この先に富士山が見えるはずだが、残念ながら見えなかった。左側は、二の丸美術館と二の丸茶室。


2層目から3層目への階段
踊り場にて。写真を撮る余裕などないのだが、…。滑らないように靴下を脱ぐべきだったかも。


3層目からの眺望
2層目からの眺望とどう違うかな。明らかに私の腰が引けているのがわかる。四足門と時の櫓の方角だ。

掛川西高校

二の丸御殿


鎧と兜

天守の仕掛け


天守から出た位置(天守丸)から
眺望


天守曲輪(天守丸)の冠木門
当時は櫓門だったそうだ

霧吹きの井戸
今川氏真が立てこもる掛川城を徳川家康が攻めた時、井戸から立ち込めた霧が城を包み家康軍の攻撃から城を守ったという伝説がある。たまたま濃霧の発生があったということなのだろうが、不思議なことがあったものだ。井戸の深さも相当なものだったようだ。


室町時代の有名な連歌師宗長が掛川城初期のを書き留めてあった。
1番 丸亀城(香川) ...65m
2番 福知山城(京都) ...50m
3番 掛川城(霧吹き井戸)...45m
4番 松山城(愛媛) ...42m